鹿児島地方裁判所 昭和50年(ワ)210号 判決 1984年3月23日
原告1(A事件)
日高末善
外2〜4三名
原告1(B事件)
合資会社宮之城印刷所
右代表者
内山勇
外2〜7六名
原告1(C事件)
小牧伊勢吉
外2〜91九〇名
原告1(D事件)
久保園純男
外2〜20一九名
原告(E事件)
大平重義
A・D事件原告ら訴訟代理人兼B・C・E事件原告ら訴訟復代理人
小堀清直
同
亀田徳一郎
同
井之脇寿一
B・C・E事件原告ら訴訟代理兼A・D事件原告ら訴訟復代理人
青山友親
同
宮原勝己
D事件原告ら訴訟代理人兼A・B・C・E事件原告ら訴訟復代理人
蔵元淳
AないしE事件被告
国
右代表者法務大臣
秦野章
右指定代理人
堀江憲二
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
(当事者の求める判決)
第一 請求の趣旨
一 被告は、
1 別紙原告目録A記載の原告らに対し、別紙6請求額一覧表中、該当する「請求総額」欄記載の金員およびこれに対する昭和四七年一二月一九日から、
2 別紙原告目録B、C、E記載の原告らに対し、別紙6請求額一覧表中、該当する「請求総額」欄記載の金員およびそのうち同「弁護士費用以外の額」欄記載の金員に対する昭和四七年七月六日から、同「弁護士費用額」欄記載の金員に対する本判決言渡日の翌日から、
3 別紙原告目録D1ないし4、6ないし8、10ないし20記載の原告らに対し、別紙6請求額一覧表中、該当する「請求総額」欄記載の金員およびそのうち同「弁護士費用以外の額」欄記載の金員に対する昭和四七年七月六日から、同「弁護士費用額」欄記載の金員に対する昭和五〇年七月一四日から、
4 別紙原告目録D5.1ないし5.5、同9.1ないし9.3記載の原告らに対し、別紙6請求額一覧表中、該当する「請求総額」欄記載の金員およびそのうち同「弁護士費用以外の額」欄記載の金員に対する昭和四七年七月六日から、同「弁護士費用額」欄記載の金員に対する昭和五〇年七月一五日から、
各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 仮執行宣言。
第二 請求の趣旨に対する答弁
一 主文と同旨
二 被告敗訴の場合、担保提供を条件とする仮執行免脱宣言。
(当事者の主張)
第一 請求の原因
一 当事者
1 被告
被告は一級河川川内川の鹿児島県薩摩郡鶴田町神子地点に、洪水調節および発電利用の目的で、堤高(基礎岩盤から非越流頂までの高さ)117.5メートル、総貯留量一億二三〇〇万立方メートルを有する重力式コンクリートダム(以下「鶴田ダム」という。)を設置・管理している。
2 原告ら
昭和四七年七月六日当時、
(一) 原告目録A1ないし3、同目録D15ないし20、同目録E1記載の原告らおよび亡楠元トキ(同目録A4記載の原告先代)は鶴田ダム下流右岸の鶴田町柏原地区に、
(二) 同目録B1ないし7、同目録C1ないし12、14、16ないし23、25、27、29、31ないし39、41ないし43、45ないし57、59、60、62、63、65、67ないし72、74ないし83、86ないし88、90、91記載の原告らおよび亡柿野良行(同目録C13記載の原告先代)、亡鬼塚武次(同目録C15記載の原告先々代)、亡藤田篤(同目録C24記載の原告先代)、亡田畑正義(同目録C26記載の原告先代)、亡迫田清蔵(同目録C28記載の原告先代)、亡井上繁(同目録C30記載の原告先代)、亡丸田進(同目録C40記載の原告先代)、亡関スヤ(同目録C44記載の原告先代)、亡満尾等(同目録C58記載の原告先代)、亡神園行雄(同目録C61記載の原告先代)、亡堀之内吉之進(同目録C64記載の原告先代)、亡西川汀(同目録C66記載の原告先代)、亡村原ワサ(同目録C73記載の原告先代)、亡谷山久蔵(同目録C84記載の原告先代)、亡四枝輝(同目録C85記載の原告先代)、亡富澤宗熊(同目録C89記載の原告先代)は鶴田ダム下流左岸の同郡宮之城町屋地川原地区に、
(三) 同目録D1ないし4、6ないし8、10ないし14記載の原告らおよび亡山之口重(同目録D5.1ないし5.5記載の原告ら先代)、亡外山富美(同目録D9.1ないしD9.3記載の原告ら先代)は鶴田ダム下流左岸の宮之城町湯田地区に、それぞれ居住、所在、または資産を有していた。
二 本件災害の発生
1 降雨概況
昭和四七年七月四日から川内川流域で降り始めた雨は、降り始めから同月六日午後二時ころまでに、上流の宮崎県えびの市万年青平雨量観測所で四九三ミリメートル、鹿児島県姶良郡吉松町栗野岳雨量観測所で三〇七ミリメートル、鶴田ダム地点で四八三ミリメートル、ダム周辺の大口市山神雨量観測所で四八九ミリメートルの多きに達した。
2 ダム流入・放流量の概要
右の降雨により鶴田ダムへの流入量は同月五日午前七時に毎秒六〇〇立方メートル、同日午後一〇時に毎秒一七八〇立方メートル、翌六日午前八時に毎秒一八一四立方メートル、同日午後二時に毎秒二二六〇立方メートルとなった。
これに対し同ダムからの放流量は、同月五日午前一一時から同日午後一〇時までの間、毎秒九〇〇立方メートルの一定量に留められ、その後は同月六日午後二時に流入量に等しい毎秒二二六〇立方メートルに達するまで増加していつた。
3 災害の発生
川内川の流量の増加により、同月六日、鶴田町柏原地区、宮之城町湯田・屋地川原両地区において、家屋が多数流失するなどの災害が発生した。
三 ダム管理の瑕疵
1 洪水調節容量の不足
(一) 本件洪水当時の鶴田ダム操作規則(昭和四二年五月一五日建設省訓令八号。以下「旧規則」という。)によれば、同ダム貯水池の満水位は標高160.0メートル(六条)、洪水期間における貯水池の最高水位(以下「制限水位」という。)は、六月一一日から八月三一日までの期間(第一期)においては標高146.5メートル、九月一日から九月三〇日までの期間(第二期)においては標高154.0メートル、一〇月一日から一〇月一五日までの期間(第三期)においては標高157.0メートル(七条)とされ、洪水調節は標高146.5メートルから標高160.0メートルまでの容量最大四二〇〇万立方メートルを利用して行なうもの(一〇条)と定められていた。
(二) 被告は鶴田ダムの建設当時、川内川の治水計画規模を年超過確率八〇分の一(全流域平均最大二日雨量三三五ミリメートル)とし、基本高水のピーク流量を鶴田ダムの上流大口市下殿の基準地点で毎秒三一〇〇立方メートル、下流川内市斧渕の基準地点で毎秒四一〇〇立方メートル、鶴田ダムにより同地点における流量を毎秒六〇〇立方メートル低減し、その計画高水流量を毎秒三五〇〇立方メートルと計画し、このため鶴田ダムによる洪水調節量を毎秒八〇〇立方メートル、放流量を毎秒二三〇〇立方メートルとし、洪水調節容量を四二〇〇万立方メートルと定めた。
(三) しかしながら、右の降雨量の基礎資料は、観測所も少なく、精度に問題のある昭和三〇年ころまでのものであつて、信頼性に乏しく、また鶴田ダムへの流入量とその十数キロメートル上流の下殿地点での流量とを等しいものとして扱い、その間の残流域の降雨流量を加算しないなどの誤りを犯している。
(四) また、川内川中流域に位置する宮之城町湯田地区の安全水位は六メートル近くであり、屋地川原地区のそれも約六メートルであるから、昭和四四年六月以降の洪水の実状に照らし、右水位を確保するため鶴田ダムからの放流量は毎秒一四〇〇立方メートルに留め、ダムの洪水調節容量は七七〇〇万ないし七七五〇万立方メートル、洪水期の制限水位は標高130.0メートル前後とすべきであつた。
(五) ところで、本件洪水時における鶴田ダムでの秒あたりの流入量および実績放流量は、それぞれ別紙1表(一)および(四)欄記載のとおりであり、右数値から総貯留量は前記の総貯水容量を上回る一億二八三二万七四〇〇立方メートルと算出される。
(六) これに対し、鶴田ダムの制限水位を標高130.0メートル、放流量を毎秒一一〇〇立方メートルとすると、本件洪水時における総貯留量は別紙2表の計算のとおり、総貯水容量を下回る一億一三一七万五〇〇〇立方メートルに留められ、洪水は防止することができた筈である。
(七) 鶴田ダムは、(1)昭和四四年六月三〇日の洪水において毎秒一〇八九立方メートル、(2)昭和四六年七月二三日の洪水において毎秒一二〇六立方メートル、(3)同年八月六日の洪水において毎秒一四〇〇立方メートル、(4)昭和四七年六月一八日の洪水において毎秒一一〇〇立方メートルのいずれも最大放流量を経験した。
(八) 鶴田ダム管理所は、第一五回多目的ダム管理所長会議資料「鶴田ダムの緊急操作について」と題する書面(甲第一六号証)において、右昭和四六年の雨洪水における洪水調節の実状を明らかにしたが、同年八月六日の洪水における調節を自ら「神業」と評し、また計画放流量が毎秒二三〇〇立方メートルでありながら、毎秒一〇〇〇立方メートルの放流量でも被害を受ける地区のあることを指摘している。
(九) 昭和四六年には有馬元治代議士や宮之城町民らが被告に対し、鶴田ダムの制限水位を標高130.0メートルまで引き下げるよう要請・陳情していた。
(一〇) しかし現行の鶴田ダム操作規則(昭和四八年六月九日建設省訓令四号。以下「新規則」という。)により、同ダムの洪水調節が標高131.4メートルから標高160.0メートルまでの容量最大七五〇〇万立方メートルを利用して行なう(一〇条)と改訂されるに至ったのは、本件洪水後の昭和四八年六月九日のことであつた。
(一一)以上の経緯に照らせば、新規則による洪水調節容量の改訂は本件洪水前になすことが可能であつたもので、鶴田ダムの管理には瑕疵があつたというべきである。
(一二) なお、昭和五四年六月二八日前後、鶴田ダムには別紙3表の(1)欄記載のとおりの流入量があり、本件洪水と規模において類似しているが、前述のとおり、新規則により洪水調節容量が増加されていたため、放流量が同表の(4)欄記載のとおりに抑えられ、湯田、屋地川原両地区に何らの浸水被害をも生じさせなかつた。
2 洪水調節と発電との関連管理の欠如
(一) 訴外電源開発株式会社(以下「電源開発」という。)は鶴田ダムに川内川第一発電所(以下「第一発電所」という。)を設置・管理し、同ダム下流4.2キロメートルの地点に川内川第二ダム(以下「第二ダム」という。)および川内川第二発電所(以下「第二発電所」という。)を設置・管理している。
(二) 本件洪水当時、電源開発は鶴田ダムにおいて最低水位の標高130.0メートルと制限水位の標高146.5メートルとの間で自由に取水することができた。
(三) 本件災害は、被告による鶴田ダムの管理と電源開発による右の管理との間に不統一があり、関連管理が欠けていたために発生した。
3 洪水調節方式の欠陥
(一) 鶴田ダムの洪水調節に関し、旧規則一五条は別紙7のとおり定めていた。
(二) 被告は昭和四七年六月一八日の洪水後、旧規則一五条但書の操作基準として、洪水調節量の二分の一程度まで毎秒九〇〇立方メートルの一定量放流とする方式(以下「九〇〇トン方式」という。)を採用し、同方式を本件洪水に適用した。
(三) 九〇〇トン方式は流入量如何によつては洪水調節容量を食い潰し、以後の時点で計画放流量に従つた放流をなし得ず、これを上回る放流を余儀なくさせるという欠陥を蔵している。
本件災害は右の欠陥により発生したものである。
(四) 本件洪水に旧規則一五条本文を適用した場合(以下「本文操作」という。)、鶴田ダムにおける放流量および貯留量は別紙4表記載のとおりと算出され、これを図示すると、別紙1図のとおりである。
(五) 宮之城町湯田地区に対する鶴田ダムからの安全放流量は、前述したとおり、毎秒一四〇〇立方メートルであるから、本文操作を七月六日正午ころまで継続し、その後は但書により放流量を毎秒一四〇〇立方メートルに留めていれば、何らの浸水被害も発生しなかつた筈である。
なお、この場合、本文操作のみに終始した場合の同日午後八時現在の総貯留量一億一三六二万五〇〇〇立方メートルに七四一万九六〇〇立方メートルを加算した合計一億二一〇四万四六〇〇立方メートルが鶴田ダム貯水池に貯留されるが、なお一九五万五四〇〇立方メートルの貯留余力がある。
(六) 仮に本文操作のみに終始した場合、六日午後一時ころから湯田、屋地川原地区の低地への浸水がある程度予想されるが、最大放流量は、別紙4表のとおり、毎秒一七二九立方メートルとなるから、原告らの家屋のうち低位置にあるものが床下浸水を見る程度に留まると推測される。
(七) 前述の昭和五四年六月二八日の洪水について、鶴田ダムの制限水位を146.5メートルとし、九〇〇トン方式を適用すると、別紙3表の(8)欄のとおり、総貯留量は一億二二〇七万九六〇〇トンで殆ど満水位になり、ダム下流の中流域にも相当の降雨があつたから、浸水被害が発生していたと推測される。
しかし右洪水の際には、洪水調節容量が既に増加されており、九〇〇トン方式が適用されなかつたため、屋地川原地域において家屋三棟の床上浸水があつたものの、実質的損害は生じなかつた。
(八) 本件洪水当時、川内川では、水位局が鶴田ダム上流の鈴之瀬、花北、吉松、同ダム下流の湯田、司野の合計五か所、雨量局が鶴田、山神、青木、栗野岳、万年青平の合計五か所に設置されていた。
このように水位局、雨量局が不足する状況ではダムへの流入量の予測や下流の状況の把握は困難であり、放流はいきおい勘に頼ることになつてしまう。本件災害の一因である九〇〇トン方式の継続は、このような全体としてのダム管理体制の瑕疵に起因するものである。
4 所長の不在と洪水対策の欠如
(一) 昭和四七年七月五日午後三時ころ、鹿児島地方気象台は大雨洪水警報を発し、同日午後六時ころ、鶴田ダムへの流入量は毎秒一五六〇立方メートルに達していた。
(二) 山田時彦鶴田ダム管理所所長は同日午後六時ころから午後一〇時ころまでの間、管理所から約二七キロメートル離れた薩摩郡樋脇町市比野温泉で建設省の渡辺技監を接待していた。
(三) 鶴田ダムは管理所所長不在の間、洪水対策を欠き、所長が帰所してから放流量を増加させたことが別紙1表の(四)欄および別紙1図の黒点線から明らかである。
本件災害は管理所所長不在の間、適切な対策がとられていれば発生しなかつた。
5 通知・警報の懈怠
(一) 被告は本件洪水当時、河川法四八条、特定多目的ダム法(以下「ダム法」という。)三二条、鶴田ダム操作細則(昭和四二年一二月六日九建規二八号。以下「旧細則」という。)九条ないし一二条(内容は別紙8記載のとおり。)に定める関係市町村、警察、消防機関等への通知や一般への警報を怠つた。
(二) 被告が鶴田ダムからの放流量を増大させるごとに適切な通知・警報を発していれば、原告らは家財等を安全な場所に避難させるなどして損害回避または減少の措置を採り得た筈である。
四 損害の発生(弁護士費用を除く)
請求原因一、2記載の被害者らは、右の瑕疵のため、次のとおりの損害を蒙つた(但し、弁護士費用については後述する。)。
1 不動産被害
別紙9被害額明細のうち「不動産」欄該当の被害者らは、本件洪水により所有建物や立木が流失または倒壊したため、同欄記載の金額相当の損害を蒙つた。
なお、原告番号E1大平重義の被害立木一〇〇〇本は、同原告所有の鹿児島県薩摩郡鶴田町柏原字頭無シ四五七四番一の山林(公簿面積一五平方メートル、実測面積四五二二平方メートル)上にあつたものである。
2 動産被害
別紙9被害額明細のうち「動産」欄該当の被害者らは、本件洪水により、自らまたはその家族が所有する動産が流失し、または損壊したため、同欄記載の金額相当の損害を蒙つた。
家族の損害をも世帯主である右被害者らの損害に含ませたが、これは世帯主が本件災害後、再び被害物品と同等のものを家族に買い与えなければならないからである。什器等、所有権の帰属の明確でないものについても、その理は同一である。原告らは家団の代表として訴を提起しているものである。
3 復旧費
別紙9被害額明細のうち「復旧費」欄該当の被害者らは、本件洪水により損壊または崩壊した建物、土壊、石垣等の跡片付、修理、消毒等の復旧作業のため、人夫、大工、左官等を雇つたり、土砂、修理材等を買入れたため、同欄記載の金額相当の損害を蒙つた。
4 逸失利益
別紙9被害明細のうち「逸失利益」欄該当の被害者らは、本件洪水により同「備考」欄記載の期間、休業または休職したため、同「逸失利益」欄記載の金額相当の利益を失つた
5 慰藉料
本件災害に関する慰藉料は、
(一) 別紙9被害額明細の番号B1ないし7、C1ないし91、E1記載の被害者らについては、定額三〇万円に上記1ないし4の物損合計額の一割を加えた額、
(二) 同番号D1ないし20記載の被害者らについては、上記1ないし4の物損合計額の一割
をもつて相当とし、その金額は右明細の「慰藉料」欄記載のとおりと算出される。
五 損害の填補
別紙の被害額明細のうち「見舞金」欄該当の被害者らは、県と町のいずれか、またはその両者から、同欄記載の金額の見舞金を受領したので、右被害者らの各損害は同額分、填補された。
六 相続
本件災害による被害者のうち、別紙10相続一覧表の「被相続人」欄記載の者(同表番号3の鬼塚武次を相続した鬼塚シズ子を含む)は同表「死亡年月日」欄記載の日に死亡し、同表「相続人」欄記載の者がこれを相続した。
同表番号18の山之口重の相続人である原告五名のうち、原告D5.4山之口壽子は相続分が六分の二、その余の原告らは相続分が各六分の一宛であり、同表番号19の外山富美の相続人である原告三名の相続分は各三分の一宛である(具体的相続分の算出にあたつては円未満切捨とする。)。
七 弁護士費用
原告ら(但し、原告目録A記載の原告らを除く)が本訴追行のため選任した弁護士の費用のうち、被告が賠償すべき金額は次のとおりである。
1 原告目録B、C、E記載の原告らの分
右原告らについては、損害額小計(別紙9被害額明細(f)から見舞金(同(g))を差引いた額(同(h)。別紙6請求額一覧表(i)に再提出)の一割が相当であり、右一覧表「弁護士費用額」欄(同表(j))記載のとおりと算出される(但し、一万円未満は切捨)。
2 原告目録D記載の原告らの分
右原告らについては、損害額小計(別紙9被害額明細(f)。但しD5.1ないし5.5、9.1ないし9.3の原告らについてはこれを各相続分で除したもの)の五分が相当であり、別紙6請求額一覧表「弁護士費用額欄」(同表(j))記載のとおりと算出される(但し、一円未満は切捨)。
八 結論
よって被告が、
1 別紙原告目録A記載の原告らに対し、別紙6請求額一覧表中、該当する「請求総額」欄記載の金員およびこれに対するA事件訴状送達の日の翌日である昭和四七年一二月一九日から、
2 別紙原告目録B、C、E記載の原告らに対し、別紙6請求額一覧表中、該当する「請求総額」欄記載の金員およびそのうち同「弁護士費用以外の額」欄記載の金員に対する本件災害日の昭和四七年七月六日から、同「弁護士費用額」欄記載の金員に対する本判決言渡日の翌日から、
3 別紙原告目録D1ないし4、6ないし8、10ないし20記載の原告らに対し、別紙6請求額一欄表中、該当「請求総額」欄記載の金員およびそのうち同「弁護士費用以外の額」欄記載の金員に対する本件災害日の昭和四七年七月六日から、同「弁護士費用額」欄記載の金員に対するD事件訴状送達の日である昭和五〇年七月一四日から、
4 別紙原告目録D5.1ないし5.5、同9.1ないし9.3記載の原告らに対し、別紙6請求額一覧表中、該当する「請求総額」欄記載の金員およびそのうち同「弁護士費用以外の額」欄記載の金員に対する本件災害日の昭和四七年七月六日から、同「弁護士費用額」欄記載の金員に対するD事件訴状送達の日の翌日である昭和五〇年七月一五日から、各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。
第二 請求原因に対する認否並びに反論
一 請求原因一(当事者)関係
1 1 (被告)の事実は認める。
2 2(原告ら)の事実は不知。
二 同二(本件災害の発生)関係
1 1(降雨状況)の事実は認める。
2 2(ダム流入・放流量の概要)の事実は認める。
3 3(災害の発生)の事実は認める。
三 同三(ダム管理の瑕疵)関係
1 1(洪水調節容量の不足)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の事実は認める。
(三) (三)のうち、鶴田ダムへの流入量とその十数キロメートル上流の下殿地点での流量とを等しいものとして扱つたことは認め、その余の事実は否認する。
年超過確率八〇分の一として鶴田ダム建設の全体計画が決定されたのは昭和三五年六月であるが、その雨量観測資料はその当時において集め得る限りのものが収集され、その結果、昭和七年から昭和三二年までの二〇洪水にまたる資料のうち著名な洪水である昭和三二年七月洪水、同二九年八月洪水の降雨量を基礎として基本高水流量が決定された。
従つて資料の信頼性が乏しいとの原告らの主張は失当である。
下殿地点とその下流にある鶴田ダム地点の各計画高水流量をともに毎秒三一〇〇立方メートルとしたのは一見奇異な感を与えるが、両地点における過去の最大流量実績から見て、鶴田ダムにおける計画高水流量を毎秒三一〇〇立方メートルとしても、下殿から同ダムまでの残流域からの流入量は十分賄えると計算されたものである。現に本件洪水の際の鶴田ダムにおける最大流入量は毎秒二二六〇立方メートルであつた。
従つて、被告が企画した計画高水流量は誤つていなかつたといい得るのである。
(四) (四)の事実は否認する。
湯田地区での安全水位は概ね五メートル(最低地盤高標高三三メートルに相当)であり、この時の鶴田ダムからの放流量は、同ダムから下流湯田までの残流域よりの流出量を考慮して、毎秒九〇〇ないし一一〇〇立方メートルである。
(五) (五)のうち、本件洪水時における鶴田ダムでの秒あたりの流入量および実績放流量が別紙1表(一)および(四)欄記載のとおりであること(但し、(一)欄の(6)の一一五四、(14)のは一七四六、(18)は一七四六が正しい。)、原告らの計算手法によれば、総貯留量が総貯水容量を上回ることは認め、その余の事実は否認する。
ダムからの過放流がなかつたことについては後述する。
原告らの貯留量計算は単純平均によるもので、正確とはいえない。実際の数値は、流入量と放流量のカーブに囲まれる部分を読みとるべきである。
(六) (六)のうち、鶴田ダムへの秒あたりの流入量が別紙2表(一)欄記載のとおりであること(但し、(8)は一一五四、(11)は一七四六、(15)は一七四六、(35)は一四六〇が正しい。)、原告らの計算手法によれば原告ら主張どおりの総貯留量となることは認め、その余の事実は否認する。
原告らの計算手法が正確でないことについては、右(五)において述べたとおりである。
(七) (七)の事実は認める。
(八) (八)の事実は認める。
(九) (九)の事実は否認する。
(一〇) (一〇)の事実は認める。
(一一) (一一)の主張は争う。
(一二) (一二)のうち、別紙3表の(1)の「流入秒トン」欄および(4)の「放流秒トン」欄の各数値および湯田地区に浸水被害のなかつたことは認め、その余の事実は否認する。
本件洪水と昭和五四年六月洪水は、洪水総量については類似しているが、降雨のパターン、洪水継続時間、洪水波形において大きく異なつている。
2 2(洪水調節と発電との関連管理の欠如)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の事実は認める。
後に詳述するとおり、電源開発は物権としてのダム使用権に基づき、発電目的で取水していた。
(三) (三)の事実は否認する。
発電使用による放流の状況は、ダム管理所において的確に把握されるのであり、ダムの管理に不統一はない。また発電使用に伴う放流量は洪水調節時においてはダムの放流量に加えて調節の対象とされているものである。
3 3(洪水調節方式の欠陥)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の事実は認める。
(三) (三)の事実は否認する。
九〇〇トン方式採用の理由および効果については後述する。
(四) (四)の事実は不知。
(五) (五)の事実は否認する。
(六) (六)の事実は否認する。
(七) (七)の事実は否認する。
五四年六月洪水においては、本件洪水後に河道改修が完了した湯田地区に浸水被害はなかつたが、宮之城町全体で家屋の床上浸水一〇戸、床下浸水三七戸、その他水田の冠水等の被害が発生した。
(八) (八)前段の事実は認め、後段の事実は否認する。
4 4(所長の不在と洪水対策の欠如)について
(一) (一)のうち、昭和四七年七月五日午後六時ころ、鶴田ダムへの流入量が毎秒一五六〇立方メートルであつたことは認める。
(二) (二)のうち、山田所長がそのころ一時、鶴田ダムに不在であつたことは認め、その余の事実は否認する。
(三) (三)のうち、別紙1表の(四)欄の数値は認め、その余の事実は否認する。
所長はダム不在中も管理状況について連絡を受け、かつ必要な指示を行なつており、仮に所長に事故のある場合には所長に代わる責任者がその職務を代行することとされているのであつて、所長の一時不在と本件災害とは全く無関係である。
5 5(通知・警報の懈怠)について
(一) (一)のうち、旧細則九条ないし一二条の内容が別紙8記載のとおりであることは認め、その余の事実は否認する。
サイレンの吹鳴による一般への警告は六月二九日放流開始に先立つて行ない、ダム管理所から関係機関への放流量の変化についての通知はその都度行なつていた。住民の避難、立退の指示に関しては、都道府県知事、その命を受けた都道府県の職員または水防管理者が行なうべきものである(水防法二二条参照)。
なお、放流に関する通知等の根拠法令、方法、目的については後に詳述する。
(二) (二)の事実は否認する。
四 同四(損害の発生)関係
1 1(不動産被害)について
1の事実はすべて不知
仮に原告番号E1大平重義所有土地の面積が同原告主張のとおりであつたとしても、流失立木は七四本程度に過ぎない。
2 2(動産被害)について
2前段のうち、原告番号A1日高末善、A2日高初江の損害(特にルノアールの原画について)は否認し、その余の原告らの動産被告はすべて不知。
同後段の主張は争う。
3 3(復旧費)について
3の事実はすべて不知。
4 4(逸失利益)について
4の事実はすべて不知。
5 5(慰藉料)について
5の主張は争う。
一般的に財産的損害賠償によつて精神的苦痛も慰藉されるというべきである。
五 同五(損害の填補)関係
五の事実はすべて認める。
六 同六(相続)関係
六の事実はすべて認める。
七 同七(弁護士費用)関係
七の事実はすべて不知。
第三 被告の主張
一 河川管理をめぐる諸条件
1 河川管理の特殊性
河川は、道路、公園、公共建築物等の人為現象を対象とする公物に比し、降雨、降雪等の自然現象を対象とする公物であるが故に、次のような特殊性を有している。
(一) 河川は自然の流水が機縁となつて長年月の間に形成されてきたもので、本来危険を内包した状態のまま供用されており、これを逐次、築堤、洪水調節ダムの建設等によつて安全性を高めていかざるを得ない。
道路等はそれを設置するが故に危険が創出される。
(二) そのため河川は設置するかしないかの選択の余地がない。
道路等は、完全なものを設置するか、別の観点からみて設置するか、またはしないかの選択の余地がある。
(三) 危険な状態になつたとき、河川にはこれを回避するための簡易な手段はない。
道路等は通行禁止、立入禁止等の比較的簡易な回避手段を採り得る。
(四) 河川は流水という自然現象を対象としているため、その源となる降雨の規模、範囲、発生時期等の予測および洪水の作用等の予測が極めて困難である。
道路等は人、車という人為的なものを対象としているので、その有する外力の規模、作用等の予測は流水に比して容易である。
(五) 特に洪水の作用等の把握は、実物実験によることは不可能であり、実際の出水によつて得られたものである。結局、既往洪水による経験に依拠せざるを得ない。
(六) 発生可能な洪水規模は、いわば無限であり、そのすべての水害を防止するのは不可能で、河川管理としては合理的な目標を設定し、段階的に整備を進めざるを得ない。
(七) 更に河川管理には利水の側面を考慮して管理を行なわなければならないという特殊性が存する。河川、特に流水は古来から人間の生活、産業活動と極めて深いかかわりをもつて利用されてきており、河川管理の実際にあたつては、その河川の利水状況が有する歴史的、社会的な沿革、その実績等の実態を踏まえて河川管理を行なわなければならない。
右の河川管理の特殊性は、河川管理責任を判断するうえにおいて、十分考慮されなければならないものである。
2 河川管理の諸制約
右の特殊性に加え、河川の改修により河川の安全性を高める河川管理には、次のような避け難い制約が存する。
(一) 財政的制約
河川は本来的に洪水氾濫の危険を内包しているからこそ管理せざるを得ないが、その危険を軽減し、安全性を高めていくためには、築堤、洪水調節、ダムの建設等大掛りな工事を長大な河川延長に対して行なうより外はなく、これには莫大な資金を必要とする。全国の河川をそれぞれの工事実施基本計画ないしは改修計画に定められている長期的な目標水準にまで到達させるためには一〇〇兆円を上回る投資が必要と見積られているのである。
いうまでもなく、治水事業に投ずる資金は国会あるいは地方議会の議決により定まり、最終的には国民の税金によつて賄われるのであるが、他にも多くの行政需要が存する以上、治水事業に投資し得る予算にはおこずと限界があり、右目標は到底、一朝一夕には達成し得ないところである。例えば、右目標を短年度で達成しようとすれば、その財政負担だけで国の予算の大半をこれに注ぎ込まざるを得なくなり、これは到底、国民の合対が得られるものではない。なお、仮に右目標が達成されたとしても、これはあくまでも当面の目標達成に過ぎず、その達成をもつて如何なる洪水をも防禦し得るというものではない。
また、極めて多岐にわたる行政需要―施設整備面だけに例をもつても、国土保全施設、交通・運輸施設、下水道・公園等の生活環境施設、教育・文化施設等々がある―を抱える近代国家の行政を進めていくうえにおいて、それぞれの行政をどの程度の水準を目標として進めていくかということ自体も、財政問題と切り離しては考えられない。
すなわち、それぞれの行政が到達すべき目標は、その水準が高ければ高い程良いとか、あるいはある施設が多い程良いということから定まるのではなく、これらの行政需要を充たしていく国力の大きさを大枠として、その国力を行政需要と衣食住をはじめとする私的需要との間で如何に調和をとつて配分するか、また、種々の行政需要間の配分について、それぞれの行政目的・効果等を勘案して如何に調和をとつて配分するかということから定まつていくものであると考えられる。このような事柄は、財政的制約というよりは、むしろ社会的合理性と表現した方が適切であろう。
(二) 時間的制約
河川改修等の大規模工事には長年月を要し、完成までの間はその流水を安全に流下させる機能を必らずしも十分に保たせることはできない。
工事の着手にあたつては、住民の生活上の諸権利や水利権、漁業権等に影響を及ぼさないように配慮したり、鉄道橋や道路橋の架替計画との整合をはからなければならないために、かなりの時間を要する。
なお、工事によつては水系全体をできるだけ広範囲に一定規模の効果が及ぐようにするため、できるだけ長い延長にわたつて工事を行ない、水害の被害を少しでも軽減するというより大きな効果を期待し、例えば計画高水流量毎秒三〇〇〇立方メートルの河川においては、第一期として毎秒二〇〇〇立方メートルの暫定改修を全川にわたつて行ない、その後、更に第二期として毎秒三〇〇〇立方メートルまで安全度を高めるとか、築堤と河道浚渫が一体となつた改修計画のなかで、河川の状況により、まず築堤を優先するというように、早期にしかも全川にわたつて平均的に工事を進捗させる「段階的改修」と呼ばれる施工方法がとられるのであり、この場合には更に時間を要することとなる。
しかも数修途上で流域の開発が予想をはるかに上回るような場合、計画を改訂して更に改修を行なう必要も生ずるのであり、河川改修工事の進め方からも河川の安全性を高めることは一朝一夕になし得るものでない。
(三) 技術的制約
治水の手段は、降雨の特性・流域の特性等から定められるものであり、画一的手法は存在せず、その特性にあつた手法を見出すには、災害の歴史を含めた長い経験が必要である。
最近の技術をもつて十分と考えてなされた治水工事も、その後の情勢の変化に対応し得なくなり、万全なものでなくなる等、技術的な原因により河川管理を十分に果たし得ない場合がある。自然の作用に対する予測、解析は長期間の観測データや経験に基づく科学的手法の開発が要請されるところであるが、最近の科学技術をもつてしても将来起こり得べき自然現象を完全に予測することは不可能である。
特に降雨のメカニズムに関する研究は未知の分野が多く、洪水の発生原因である降雨についての正確な予測は困難であるため、河川への流出量(ダムへの流入量)の予測も困難なものとならざるを得ず、洪水調節のためのダムの操作に大きな制約となつている。
(四) 社会的制約
河川改修をはじめ公共事業の施行に当たつては、国民の協力が必要なことは論をまたないが、河川改修事業のための用地取得についても、地面の高騰、地域住民の強固な所有権意識や生活問題等がからんでますます困難となつており、このため必要な用地取得に長時間を要する場合があり、工事の進捗の障害となつている。
特にダムの建設は、広大な地域にわたつて宅地、田、畑、山林等住民の生活基盤や道路、水路、公園等地域の生活環境施設である各種公共公益施設を一挙に水没させるため、その事業の推進は他の公共事業に比較して一段と困難であり、住民の生活再建対策、地域の生活環境施設の整備に長期間を必要とする。
このため昭和四八年には水源地域関係住民の生活の安定を図る等を目的として「水源地域対策特別措置法」(昭和四八年法律一一八号)が制定されているほどである。
また、右の困難性は十数年の争いの歴史を残す松原下筌ダムの建設をみても公知の事実といえる。
二 多目的ダムとダム使用権
1 特定多目的ダム法の制定
治水、利水の両目的を併せ持つ多目的ダムは一九三〇年代から建設されていたが、ダム法の施行(昭和三二年四月一日)前における多目的ダムの建設は、水力発電、上水道等利水に係る事業者と洪水調節を目的としたダムを建設する河川管理者が一定の協議を行ない、河川管理と利水の共同施設として多目的ダムを建設し、協議により費用負担を行ない、施設を共有として各自持分を有するとしたものであつた。
しかしながら、我が国の経済社会の発展に対応する利水需要と洪水被害を防禦し、治水の安全度の向上を早期に図るという要請からは、河川管理者が治水、利水両目的を有する多目的ダムを一元的に建設し、多目的ダムの効用を速やかに、かつ十分に発揮させることができる法制度の確立が要請されることとなつた。
ダム法は、このような要請に応えて、河川法の特例として昭和三二年三月三一日、第二六回国会において成立、翌四月一日施行されたものである。
2 ダム使用権
(一) ダム法のもとにおいて利水事業者には従来の持分の代わりにダム使用権が与えられる。「ダム使用権」とは、多目的ダムによる一定量の流水の貯留を一定の地域において確保する権利をいい(二条二項)、具体的にはその設定の目的と、ダム使用権により貯留が確保される流水の最高および最低の水位並びに量によつて示される(一八条)。
(二) ダム使用権は物権とみなされ(二〇条)、一度設定された以上、次の場合を除き、建設大臣において取消、変更等の処分をなし得ない。その一は水利権の取消に伴い、何人にも従前どおりの流水の占用を認めることができない場合(二四条)、その二は他のより公益性ある事業者に水利権を与える必要があるため、ダム使用権者の水利権を取消す場合であつて、かつ、ダム使用権者が建設大臣の譲渡命令に応じないときである(二五条)。
右によりダム使用権の取消、変更等の処分をした場合においては、国はそのダム使用権者が既に納付した建設費の負担金または納付金のうち一部をその者に還付することを要する(二八条)。
(三) 右以外にダム使用権を消滅または制限させることは、ダム使用権者が権利の放棄に同意をし、それに対して正当な補償が行なわれた場合か、または土地収用法に基づく収用手続を経る場合しか存しない。
(四) 特定多目的ダムの操作は、流水によつて生ずる公利を増進し、公害を除却または軽減するとともに、ダム使用権を侵害しないように行なわなければならない(三〇条)とされ、具体的には河川管理者である建設大臣が定める操作規則に則つて行なわれる(三一条)。
三 川内川の諸相
1 概況
(一) 川内川は熊本県球磨郡白髪岳にその源を発し、南下して宮崎県西諸県盆地(加久藤平野)に出て、長江川、二十里川、池島川等の支川を合わせ西流し、鹿児島県に入り、吉松町、栗野町の狭窄部を経、途中わん曲蛇行しながら菱刈町湯之尾に至り、高さ約五メートルの湯之尾滝を通り、更に菱刈盆地を通過し、羽月川を合流して曽木の滝に至る。この滝を通過した川内川は鶴田ダムを経由し、中流部の狭窄部をわん曲蛇行しながら、左右両岸の小支川を合わせつつ下流に至り、川内平野を貫流して東支那海に注いでいる。
(二) 流域は熊本県、宮崎県、鹿児島県にまたがり、流域内人口は約一九万六〇〇〇人(昭和五〇年国勢調査)、その広さは約一六〇〇平方キロメートル、幹川流路延長一三七キロメートル、流域の平均幅は約一二キロメートルである。流域面積は鶴田ダム地点でほぼ二分割され、ダム上流域は流路延長八六キロメートル、流域面積八〇五平方キロメートル、下流域は流路延長五一キロメートル、流域面積七九五平方キロメートルである。流域面積の七四パーセントは山地、二六パーセントが平地で、このうち約七三パーセントが農地として利用されており、流域内の主産業は農業である。
(三) 流域形状は帯状を成し、水源から河口までの落差は一四〇〇メートルで河川全体は一〇〇分の一という急な勾配を有するが、河川の縦断形状は滝によつて段落が形成されていることから、滝と滝との間の勾配は比較的緩やかであり、かつ大きくわん曲蛇行した河道はしばしば氾濫をくり返し、洪水による被告ならびに内水による被害が発生している。
(四) 川内川および鶴田ダム、各雨量観測所、水位・流量観測所等の位置関係は別紙2図「川内川流域図」記載のとおりである。
2 降雨特性
(一) 川内川流域は我が国の気象特性の一つである「多雨地域」に属している。これは流域平均雨量(昭和四一年から昭和五〇年までの一〇か年平均)が全国平均一八五〇ミリメートル、九州平均二一九〇ミリメートルであるのに対し、川内川流域は実に二七〇〇ミリメートルに達していることからも明らかである。
(二) 九州地方における降雨は台風期のものと梅雨期のものにほぼ分類されるが、既して梅雨期における降雨が多く、雨の降り方も梅雨期のものは一般的には全域に平均的に降雨のあるのが普通である。川内川においては降雨の状態が地域的に、時間的にバラツキがあり、気象条件によつて降雨地域が偏在し、降雨予測が困難であるという特性を有している。
(三) ところで昭和四四年から四七年までの四か年平均流域平均年雨量は三一九〇ミリメートルに達し、本件災害の発生した昭和四七年の流域平均年雨量は三七五〇ミリメートルと前記一〇か年平均を超えること一〇五〇ミリメートルの多きに達している。
(四) 山野雨量観測所と白鳥雨量観測所の日雨量平均値のうち一〇〇ミリメートル以上の降雨の頻度についてみると、次のように昭和四四年から四七年にかけて極端に大きく、この降雨が洪水発生の原因であることは明らかである。
(1) 昭和三〇年から五四年の日雨量一〇〇ミリメートル以上の降雨回数は八七回であり、年平均3.48回の割合となる。
(2) ダム設置以前の昭和四〇年までの日雨量一〇〇ミリメートル以上の降雨回数は三七回であり、年平均3.36回の割合となる。
(3) ダム設置時点(昭和四一年)から五四年までの日雨量一〇〇ミリメートル以上の降雨回数は五〇回であり、年平均3.57回の割合となる。
(4) 昭和四四年から四七年の間の日雨量一〇〇ミリメートル以上の降雨回数は二〇回であり、年平均5.0回の割合となる。
(5) 昭和四七年の日雨量一〇〇ミリメートル以上の降雨回数は七回で過去最多であり、しかもそのうち日雨量二〇〇ミリメートルを超えるもの二回、日雨量一五〇ないし二〇〇ミリメートルのもの三回と降雨の規模も大きいものが多かつた。
3 河川指定の推移
(一) 河川の管理に関する基本法は河川法であり、昭和四〇年に新河川法が制定されるまでは明治二九年に制定された旧河川法および明治三二年に制定された旧河川法準用令によつて河川の管理が行なわれてきた。
(二) 旧法では、河川法の対象となる河川、いわゆる「適用河川」とは、主務大臣が公共の利害に重大な関係があると認定したもの(法一条)および地方行政庁において河川の支川、派川として認定したもの(法四条)と規定されており、さらに河川法を準用する河川としては、都道府県知事が認定したもの(令一条)と規定されている。これらの河川の管理は原則として地方行政庁において行なうが、主務大臣が必要と認めるときは自ら管理することができ(法六条)、大規模工事等についても主務大臣が自ら施行することができる(法八条。これを「直轄改修事業」という。)と規定されていた。
(三) 新法では、河川を水系別に一級河川、二級河川に区分し、一級河川は国土保全上または国民経済上特に重要な水系に係る河川として建設大臣が指定したもの、二級河川は一級河川以外の河川で都道府県知事が指定したもの(四、五条)と規定された。一級河川および二級河川以外の河川で市町村長が指定したものについては二級河川に関する規定を準用することとなつた(一〇〇条)。これらの河川の管理は、一級河川については建設大臣(九条一項)、二級河川については都道府県知事(一〇条)が行なうのであるが、建設大臣は一級河川について一定の区間を定め、都道府県知事にその管理の一部を行なわせるものとされた(九条二項)。
(四) これらの新旧河川法の適用についての川内川における推移は別紙11「川内川河川指定年表」記載のとおりである。
(四) その結果、現時点における川内川水系の管理区間の延長は、直轄管理区間132.6キロメートル(本川えびの市から河口まで112.1キロメートル、支川一一河川20.5キロメートル)、指定区間569.3キロメートル(本川11.4キロメートル、支川一二七河川557.9キロメートル)となつている。
このほか準用河川として二七〇河川337.9キロメートルが指定されている。
4 改修事業の推移
(一) 昭和六年、東郷町から下流河口に至る本川と支川平佐川、隅之城川、高城川等総延長17.9キロメートルの直轄改修事業が開始され、改修事業の計画高水流量(現在では「基本高水」という。)は明治三九年六月の洪水をもとにして、川内市大平橋地点で毎秒三五〇〇立方メートルと定められた。
(二) 昭和二三年、上流部の本川と支川羽月川、長江川、二十里川、池島川等延長五六キロメートル、総延長73.9キロメートルの直轄改修事業が開始され、計画高水流量は昭和一八年九月の洪水をもとにして、大口市下殿地点で毎秒三一〇〇立方メートルと定められた。
(三) 昭和三四年、中流部(鶴田ダム建設地点を含むダムの湛水区間)の本川12.1キロメートルも直轄改修事業の対象に加えられた。
計画規模は年超過確率八〇分の一(二日雨量三三五ミリメートル)として、川内地点において毎秒四一〇〇立方メートルの流量を流下させる必要が生じたが、下流部の河川改修は既に毎秒三五〇〇立方メートルの改修計画でほぼ概成しているので、既計画からの増加分毎秒六〇〇立方メートルは鶴田ダム建設後の洪水調節により対処することとして改修計画が策定された。
(四) 昭和四一年四月一日、これまでの改修計画、鶴田ダムの建設計画等を基本として検討した結果、川内川水系工事実施基本計画(以下「旧基本計画」という。)が定められた。
すなわち、基本高水のピーク流量を基準地点川内において毎秒四一〇〇立方メートル、そのうち鶴田ダムにより毎秒六〇〇立方メートルを調節する計画が決定された。
(五) 昭和四四年六月、川内地点で計画高水流量毎秒三五〇〇立方メートルを超える出水が発生したこと等から、同年七月より既計画高水流量を検討することとして、水文各種資料の収集整理等の調査が始まつた。
(六) その後、昭和四六年、四七年と異常出水が連続したことから、昭和四七年八月、川内川水系の恒久的な治水対策を立案するために学識経験者等で構成された川内川治水計画技術委員会が設けられ、水文資料等からこれまでの出水の実態を解明し、治水上の総合的、合理的方策について検討協議が重ねられた。
(七) このようなことから、昭和四八年三月三一日、計画規模を年超過確率一〇〇分の一(二日雨量四二五ミリメートル)とした現行の川内川水系工事実施基本計画(以下「新基本計画」という。)が策定された。
すなわち、基本高水のピーク流量を基準地点川内において毎秒九〇〇〇立方メートルとし、うち鶴田ダムおよび中流ダム群により毎秒二〇〇〇立方メートルを調節することとした。鶴田ダム地点においては毎秒四六〇〇立方メートルとし、最大毎秒二二〇〇立方メートルの貯留を行なう洪水調節により、残流域からの流出と合わせ、湯田および宮之城地点においてそれぞれ毎秒三三〇〇立方メートル、および毎秒三五〇〇立方メートルとし、基準地点川内において毎秒七〇〇〇立方メートルとする計画を決定した。
(八) これに伴い、鶴田ダムの洪水調節容量は七五〇〇万立方メートルを要することとなり、ダム使用権者である電源開発と協議を重ね、補償金二七億二〇〇〇万円を昭和四八年度から五〇年度までの三年間に分割して支払い、利水容量を洪水調節容量に充当することとした。
四 鶴田ダムの諸相
1 鶴田ダムの建設
鶴田ダムは、ダム地点における計画高水流量毎秒三一〇〇立方メートルのうち毎秒八〇〇立方メートルを貯留し、下流川内基準地点における流量毎秒四一〇〇立方メートルを毎秒三五〇〇立方メートルに低減させ、毎秒六〇〇立方メートルの低減効果をもたらす一方、貯水した水を利用し、第一発電所において最大出力一二万キロワット、第二発電所において一万五〇〇〇キロワットの発電を行なう多目的ダムとして計画された。
鶴田ダムは、昭和三五年六月、本体工事に着工し、同四一年三月、竣工した。当時の諸元は別紙12に記載のとおりである。
2 第二ダムの建設
第二ダムは、鶴田ダムにおいて毎秒一五〇立方メートルの取水をしてピーク発電を行なうため下流での水位が変動することから、これを避けるため一時使用した水を貯留し、流量を平滑化(いわゆる「逆調整」)するとともに、併せて発電を行なう目的で電源開発が建設し、昭和三九年一二月より発電を開始したものである。
その諸元は別紙13に記載のとおりである。
3 治水容量および利水容量
(一) 鶴田ダムの治水(洪水調節)容量は、計画降雨量(二日雨量)三三五ミリメートルを昭和二九年八月洪水の降雨パターンを昭和三一年七月洪水の降雨パターンとにより降らせた洪水波形を求め、洪水調節図を作成して四二〇〇万立方メートルと決定された。
(二) すなわち、昭和二九年八月洪水パターンによる洪水調節図(Ⅰ型)によると、ピーク流入量が毎秒二八〇〇立方メートルとなり、洪水調節量を毎秒七〇〇立方メートルとすれば、ダム下流の流出を考慮しても十分対応できることが判り、このためのダムの洪水調節容量は三七二〇万立方メートルとなつた。
しかして下殿地点の計画高水流量が毎秒三一〇〇立方メートルとなつており、この量がダムに流入することになつていたので、昭和三二年七月洪水パターンによる洪水調節図(Ⅱ型)により、洪水調節量を毎秒八〇〇立方メートル、放流量を毎秒二三〇〇立方メートルとすれば、下流川内基準地点の流量は毎秒三五〇〇立方メートルを超えないし、このためのダムの洪水調節容量は二九六〇万立方メートルでよい結果となつた。
このことから治水容量は若干の余裕をみて四二〇〇万立方メートルと決定されたのである。
(三) 地方、鶴田ダムについては湛水区域内に既存の発電所があり、その代替をも含めて電気事業が利水者として参加することになり、有効貯水量最大七七五〇万立方メートルを利用して最大出力一二万キロワットの発電を行なうことにより、水資源の有効利用による国民生活の安定と国民経済の発展を図るというダム法の目的に沿つたダム建設計画が策定されたのであつた。
4 費用負担
鶴田ダム建設費用の負担区分は、国および鹿児島県の負担割合(治水分)を建設費用の一〇〇〇分の四八七、電源開発の負担割合(利水分)を一〇〇〇分の五一三と定められた。
これに対し竣工額は概算一三六億三八〇〇万円となつたので、これを右の負担割合に応じ、治水負担が六六億四一〇〇万円、利水負担が六九億九六三〇万円となつた。
5 ダム使用権
(一) ダム使用権の設定
鶴田ダムの水力発電に係るダム使用権は、ダム法一五条により、昭和四二年四月一二日、電源開発に対して設定された。
ダム使用権設定の目的は、川内川第一発電所および川内川第二発電所における発電のためであり、鶴田ダムにおいてダム使用権により貯留が確保される流水の最高最低の水位並びに量は別紙14「ダム使用権一覧表」のⅠ欄記載のとおりであつた。
(二) ダム使用権の一部放棄
右ダム使用権は、川内川水系工事実施基本計画の改訂に伴い、鶴田ダムの治水容量の増加を利水容量の充当によつて実現させることとなつたため、昭和四八年六月九日、ダム使用権の一部放棄により、右一覧表のⅡ欄記載のとおりに変更された。
6 ダムの管理
(一) 操作規則
鶴田ダムの操作規則(旧規則)は、昭和四二年五月一五日建設省訓令八号として建設大臣により制定され、この規則に基づく操作細則(旧細則)は、昭和四二年一二月六日建規二八号として九州地方建設局長により制定された。
なお、川内川水系工事実施基本計画の改訂による鶴田ダムの洪水調節容量の増加に伴う規則および細則の改正は、昭和四八年六月九日建設省訓令四号(規則)および昭和四八年六月一一日九建規一七号(細則)として行なわれた。
(二) 洪水調節方式
洪水調節の方式を分類すれば、自然調節方式(穴あきダム方式)、一定量調節方式、一定率一定量調節方式等がある。後者は洪水の流入量のうち一定の流量以上についてピーク流量まで流入量に対して一定の率で貯留を行ない、ピーク以降は一定量を放流するもので、最も一般的な方式であつて、中小洪水の場合にも効果が期待できる。鶴田ダムはこの方法によつている。
(三) 気象情報と洪水予測
ダムにおける洪水調節を最も効果的に行なうには、当該ダムの流域内に降つた雨が、いつ、どのような状態で流入してくるかを、迅速かつ的確に把握し、洪水調節に対拠することにある。
そのためには降雨の時間的、量的、画的分布に関する正確な気象情報が期待されるところであるが、現状での気象官署から発表される気象情報の内容は、
(1) 時間的には、半日ないし一日程度とか、今夕から夜半にかけてというおおまかな時間幅であり、
(2) 量的には、例えば一五〇ないし二〇〇ミリメートルという程度のもので、
(3) 面的には、県域あるいは県の山間部と平地部、北部と南部、または沿岸部と内陸部というような広い範囲にわたるものである。
このような状況にある気象情報をもとにして、予測した流入量と実際に降つた雨量から予測した流入量とは必ずしも一致しないことから、現実には気象官署から発表された気象情報によつてダムの洪水調節体制を整えるとともに、気象情報による降雨を前提とした流入量の予測を行ない、その後実際に降つた雨量をもとにして流入量を予測し、洪水調節を行なつているのである。
(四) 日常における管理体制
日常における管理業務は、
(1) 気象・水象等について調査測定を行なう、
(2) 点検整備基準、調査測定基準に従い、定期的に点検整備および調査測定を行ない、ダムの正常な機能が保持されるよう安全管理を行なう、
(3) 貯水池周辺およびダム周辺を定期的に巡視し、貯水池が正常な状態に維持されるよう管理を行なうもので、ダムの施設管理および機能管理である。
(五) 予備警戒体制
予備警戒体制に入る要件は、
(1) 鶴田ダム流域内において連続雨量七〇ミリメートルを超えたとき、または超えると予測されるとき、
(2) 流入量が毎秒一五〇立方メートルを超えたとき、または超えると予想されるとき、
(3) 台風の中心が東経一二四度から一三五度の範囲において北緯二七度以上に接近したとき、
(4) 鹿児島気象台から降雨に関する注意報または警報が発せられたとき、
(5) 貯水池が制限水位に達するおそれがあるとき
である。
その業務内容は、
(1) 鹿児島気象台からの台風並びに降雨に関する情報に注意するとともに、天気図を発表ごとに記録する、
(2) テレメーター雨量局による流域内の降雨の状況の把握、
(3) テレメーター水位局によりダムへの流入量の予測および状況の把握
(4) 貯水位の変動の状況および発電の取水量の状況把握、
(5) 通信設備、警報設備の点検
等である。
(六) 放流体制
放流体制は規則二〇条各号の規定該当のとき所長が発令するもので、その業務内容は、
(1) 九州地方建設局長に直ちに報告、
(2) 気象状況に特に留意し、天気図は発表毎に記録し、時間雨量並びに時間雨量曲線により流入量を予測し、鈴之瀬地点のH〜Qより流入量の算定を行なう、
(3) 放流開始の時間、放流量の決定を行なう、
(4) 放流量は規則・細則に基づく放流方式により、コンジットゲートにて放流を行なう、
(5) 放流開始に先立ち、通信設備、警報設備、放流設備等の点検を行なう、
(6) 常に流入量と発電取水量および貯水位の状況を把握する、
(7) 放流を開始するにあたつては、規則・細則の定めるところにより約二時間前に通知する、
(8) 警報所よりの警報は、放流開始によつて増水する約二時間前および約三〇分前に、サイレンの吹鳴およびスピーカーによる放送をもつて行なう、
(9) 警報車による警報は水位が上昇すると認められる約三〇分前に行なう等である。
(七) 洪水警戒体制
洪水警戒体制に入る要件は、規則一二条、細則三条一項各号によるもので、細則三条一項、二号が第一段階、ダムから放流を行なおうとするときが第二段階、規則二〇条五号が第三段階に分けられている。各体制時の勤務編成は鶴田ダム災害対策計画に定められ、所長が発令し、状況に応じて人員を増減することがある。
その業務内容は放流体制時と殆ど変りないが、
(1) 気象台の情報および流域内の降雨の状況により、洪水調節計画を立て、予備放流について検討し、予備放流水位を定め、予備放流を行なう、
(2) 洪水調節計画は気象資料より総雨量を推定し、洪水波形により必要貯水池容量を求める、
(3) 降雨その他の状況により、必要に応じ、洪水波形の修正を行なう、
(4) 洪水調節に関する状況は、適時、九州地方建設局長に報告し、必要に応じ、関係機関に通知する、
(5) 放流量は規則・細則の放流方式に従つて、各ゲートにより放流を行なうとともに、規則に定められた事項について記録しておく
等である。
7 ダムの操作手順
(一) 洪水調節の方法
鶴田ダムの洪水調節方式は前述したとおり、一定率一定量調節方式であるが、昭和四七年当時、洪水調節の方法には旧規則一五条(別紙7)の本文による方法と但書による方法とがあつた。
本文による方法は、毎秒の流入量から六〇〇立方メートルを差し引いた残量に0.68を乗じて得た量に六〇〇立方メートルを加えた量を毎秒の放流量とし、放流量が毎秒二三〇〇立方メートルに達した後は、毎秒二三〇〇立方メートルを放流し、流入量と放流量が等しくなるまで放流を続け、その後はすみやかに制限水位に低下させるため、下流に支障を与えない流量を限度として放流を行なうものである。
但書による方法は、気象、水象、その他の状況により特に必要と認める場合、右の操作によらないとするものであるが、これは、洪水には出水規模の大小の差違や洪水波形の異同があり、また下流に未改修区間があつて、本文どおりの操作を行なえば下流域に被害が生じたり、洪水調節容量が有効に使用されなかつたりすることがあるため、過去の操作実績、気象および水象を勘案して、ダム所長の判断により行なわれるものである。
(二) 流入量把握の方法
(1) 流入量把握の方法としては、
(イ) ダム貯水池末端直上流部に水位量観測所を設け、水位と流量の観測を行ない、この観測資料から予め水位(H)と流量(Q)との関係式あるいは相関図を作成し、観測地点における水位を知ることにより、その地点の流量を求める方法(H〜Q方式)と、
(ロ) ダムからの放流量とダム貯水位の時間的変化を観測し、放流量および時間あたりの貯留量から、その和として流入量を求める方式(H〜V方式)と
がある。
(2) H〜Q式により流入量を把握する場合、前以て作成された図表並びに関係式で簡単に算出することができるが、河川の水位が同じでも増水期には流量が多く、減水期には流量が少なく出る傾向があるとともに、観測所からダム区間の残流域からの流出が加わるため、降雨の地域分布によつてはH〜Qから求めた流量と実際の流入量は若干異なる場合がある。
他方、H〜V方式により流入量を把握する場合、貯水池で計測するため残流域の流入量も加えた量で把握することができるが、貯水池内の複雑な波動(風による波動、ゲート操作による波動等)による水位変動により、貯水位の観測値にバラツキがある。
(3) 鶴田ダムにおける流入量把握の方法としては、旧細則二条一項によりダムへの流入量は、原則として鈴之瀬地点の流量をもとに算定することになつていたが、同項但書によつて、貯水位の上昇または低下の時間的な割合から算定した数値により流入量を修正することができることになつていた。
(4) なお、新細則二条によれば、ダムへの流入量は貯水位の上昇または低下の時間的割合から算定する、いわゆるH〜V方式を原則とすることとなつた。
(5) 右変更の理由は昭和四八年三月に改正された新基本計画で、ダム地点の計画高水流量が毎秒三一〇〇立方メートルから毎秒四六〇〇立方メートルに改訂されたため、鈴之瀬地点で毎秒四六〇〇立方メートルの流量を観測することに地形上の難点があることからH〜V方式を原則とするよう改訂されたものである。
(三) ゲート操作の方法
旧規則二〇条により放流を行なう場合、流入量に基づいて放流量が決定されるが、放流の方法は旧規則二五条に規定するとおり、コンジットゲート(放流管に設置される主ゲートで、高圧高速流の調節をする)の操作により行なうことを原則とし、これによつて所要の放流を行なうことができないときは、クレストゲート(堤頂越流部に設置されるゲート)を操作して放流を行なうこととなつていた。
放流量が決定されると、貯水位とゲート開度と放流量の相関図からゲート開度が決定され、コンジットゲートあるいはクレストゲートを操作することとなる。ゲート開閉の順序および一回の開閉限度が決められており、三門のゲートにかかる圧力がなるべく等しくなるようにしてゲートの保護を図つている(旧細則一六条)。これらゲートの操作は管理所内にあるゲート操作盤によつて、所定の開度まで電動によつて行なう。
(四) 放流に関する通知等
(1) 根拠法令
多目的ダムによつて貯留された流水を放流する場合の通知等については、ダム法三二条に、「建設大臣又は多目的ダムを管理する都道府県知事は、多目的ダムによつて貯留された流水を放流することによつて流水の状況に著しい変化を生ずると認める場合において、これによつて生ずる危害を防止するため必要があると認めるときは、政令で定めるところにより、あらかじめ、関係都道府県知事、関係市町村長及び関係警察署長に通知するとともに、一般に周知させるため必要な措置をとらなければならない。」と定められ、同法施行令一八条に「建設大臣又は多目的ダムを管理する都道府県知事は、多目的ダムによつて貯留された流水の放流に関し、法第三十二条の規定により関係都道府県知事、関係市町村長及び関係警察署長に通知しようとするときは、流水を放流する日時のほか放流量又は放流により上昇する下流の水位の見込を示して行い、一般に周知させようとするときは、建設省令で定めるところにより、立札による掲示を行うほか、サイレン、警鐘、拡声機等により警告しなければならない。」と通知等の方法について定めている。
鶴田ダムの放流に関する通知等は右各規定に基づき、旧規則二四条(別紙7記載のとおり)および旧細則九条ないし一二条(別紙8記載のとおり)により行なつていた。
(2) 通知等の方法
具体的には、第一発電所長、第二発電所長、鶴田町長、宮之城町長、宮之城警察署長、宮之城土木事務所長、東郷町長、樋脇町長、川内市長、川内警察署長および川内川工事事務所長に対して専用電話(無線および有線)、あるいは加入電話により行なわれ、一般に対する周知は警報所(ダム管理所、神子、柏原、宮之城、川口、須杭、倉野、司野、東郷)および警報車のサイレン吹鳴並びに拡声機放送により警告することになつている。
(3) 目的
これはダムから放流を開始することにより下流の水位が上昇するので、魚釣り、遊泳、あるいは砂利採取等、河川を利用し、または利用しようとしている沿岸住民らに対する警告が目的である。
一般に周知させるためのサイレン吹鳴並びに拡声機放送による警告は放流開始の際に限られ、一旦放流開始された後の放流量の増減については、特別行なうこととなつていない。
五 鶴田ダムの実績と九〇〇トン方式
1 鶴田ダムの建設効果
(一) 主要洪水の実績流量
昭和二九年から同五一年の間の主要洪水について、鶴田ダム上流の下殿地点および下流の湯田地点における最大流量を図表化すると、別紙3図「主要洪水の実績流量」記載のとおりである。
同図に明らかなとおり、上流下殿地点の洪水は下流湯田地点の洪水となつており、上下流とも洪水が発生している。
(二) ダムによる被害軽減
ダム設置後の洪水についてみれば、本件洪水を除いて、上流下殿地点の洪水量に対する下流湯田地点の洪水量の割合がダム設置前に比し、小さくなつている。
これはダムによる洪水調節により最大流量が低減された結果であり、鶴田ダムが洪水被害の軽減機能を果たしていることを示すものである。すなわち、ダム設置前の状態では洪水被害に結びつくような降雨現象が、ダム設置後は被害を受けるに至らない状態もしくは被害が軽減されている状態に留まつているのであり、それだけ鶴田ダムの建設効果によつて洪水被害が減少したことになるのである。
2 操作実績の概要
(一) 鶴田ダムが昭和四一年三月に竣工して以来、洪水調節は昭和四一年に二回、四三年一回、四四年に三回、四五年に二回、四六年に三回、四七年に四回、合計一五回行なわれた。そのうち主要な洪水調節の実績は、別紙15「洪水調節実績表」に記載のとおりである。
(二) 同表から明らかなとおり、本件洪水前、鶴田ダムの洪水調節により下流の洪水被害を最小限に留めることができたのである。
3 主たる操作実績
(一) 昭和四四年六月
梅雨前線の活動により六月二八日から七月三日にかけて九州南部で降つた雨量は代表地点(川内観測所ほか)で四〇〇ないし五〇〇ミリメートルに達した。このため川内川全域にわたつて浸水や土砂崩れ等による被害が発生した。
六月三〇日には、下流川内市、東郷町などで水位が刻々上昇し、一一時に至り計画高水流量毎秒三五〇〇立方メートルに近い洪水となつて、東郷町では国道が一部途絶状態となり、川内川の水位は堤防天端までわずか一メートルとなり、破堤のおそれが生じた。
このためそれまで旧規則一五条本文により操作を行ない、毎秒一〇八九立方メートルを放流中であつたが、午前一一時二五分より同条但書の操作により放流量を減少させるべくゲート操作を開始し、午後〇時〇五分には毎秒六七九立方メートルに減じて下流の破堤被害を防止した。この時午前一一時から正午にかけてダム上流で三〇ミリメートル以上の降雨があり、また午後四時ころより一五ミリメートルの降雨があり、再び出水のおそれが出て来たので、二回目の洪水に備え、午後七時より同条但書により、下流川内地点の流量を増加させないよう放流量を除々に増加させ、七月一日午前二時、毎秒一一〇〇立方メートルをピークとして、その後放流量を減少させていつた。
この操作の結果、下流川内市では計画高水位にあと二〇センチメートルまでの水位に留め、本川の破堤を未然に防止することができたが、川内市街部では背後地からの内水流出により川内川をはさんで両岸に広がる家屋約七〇〇〇戸が浸水するとともに、国道三号線の交通が途絶する等の被害を受けた。
(二) 昭和四六年七月
昭和四六年七月の洪水は九州中部にあつた停滞前線と当地区を通過した寒冷前線により惹起されたもので、降雨量は全域的にみれば二〇〇ミリメートルを上回る程度のものであつた。しかし下流右岸の城上では日爾量三九〇ミリメートルを記録した。宮之城町湯田では浸水家屋が続出した。二三日午後一一時ころ、支川高城川の破堤もあり、また二四日午前一時三〇分ころ、川内市は危険水位6.00メートルを突破し、まだ水位上昇中であつたため、二三日の午後一〇時より続けてきた旧規則一五条但書による一定量放流(毎秒一二〇六立方メートル)を二四日午前一一時から下流の水位を低下させるため、放流量を減じた。
これらの操作によつて川内地区の本川の破堤を未然に防止することができるとともに、内水被害を軽減することができたが、支川高城川の左岸堤が一部決壊し、川内川右岸の川内市は昭和四四年に続いて浸水した。
(三) 昭和四六年八月
昭和四六年八月には九州南方海上をゆつくり西北西に進んでいた台風一九号が八月四日夜半には速度を早めながら薩摩半島西岸の坊津に上陸し、九州西部沿岸を北上し、日本海へ通り抜けた。
連続雨量(三日間)は川内で四五六ミリメートル、栗野岳で七五一ミリメートルを記録し、上流部の栗野町では町の中心部全域が浸水して、住民に避難命令が発せられた。
中流部の湯田、宮之城では浸水家屋が出たこと、下流川内市では危険水位を突破し、降雨もまだ続いており、更に水位上昇が予想されたため、午後一時から旧規則一五条但書の操作に入り、午後三時から放流量を毎秒八〇〇立方メートルにしぼつて放流を続け、川内川水位の維持を図つた。その後川内市における水位を考慮しつつ、貯水池容量確保のため放流量を毎秒一四〇〇立方メートルまで漸増させたが、流入量がピークを過ぎて一定量放流(毎秒一三七〇立方メートル)に切り換えた。その後湯田サツマ荘が孤立して客が帰れないため放流量を減少して欲しいとの要請が宮之城町よりあつたので、午後二時より放流量を毎秒一二七〇立方メートルにしぼり、以後一定開度放流で水位の低下を行なつた。
この操作により川内地点の水位は最高約七メートルに留めることができ、本川の破堤を未然に防止することができた。
(四) 昭和四七年六月一八日
一八日午前〇時過ぎより旧規則一五条本文による操作を行なつてきたが、午前一時ころより川内川中流部(宮之城湯田地区)に集中的な豪雨があり、浸水家屋が出るとともに、高城川が破堤したため午前五時から同条但書の操作を行ない、放流量毎秒一一〇〇立方メートルを毎秒四六〇立方メートルに低下させ、その結果、宮之城地区の浸水を最小限にくいとめることができた。
しかし流入量が上昇中であり、貯水池容量確保のため下流宮之城地区の水位を考慮しながら放流量を増加して行き、午前九時には毎秒九〇〇立方メートルとした。その後降雨もなく、流入量も減少したため、下流の水位を考慮し、毎秒九〇〇立方メートルの一定量放流を継続した。
これらの操作によりダム下流における川内地点の水位を計画高水位以下に納めることに成功し、本川堤の破堤という惨事はくいとめることができたが、川内市を流れる支川高城川は昭和四六年に引き続き破堤し、川内川右岸の市街地が浸水被害を受けた。
(五) 昭和四七年六月二七日
六月二七日早朝より降り出した雨は午前八時の観測では山神において時間雨量九四ミリメートルを記録する豪雨となり、ダム上流域の降雨は流域平均時間雨量64.4ミリメートルに達した。このためダムの流入量は午前六時ごろから増加し始め、午前九時には毎秒四四四立方メートル、午前一〇時には毎秒八八七立方メートルとなつたので、午前一〇時三〇分より旧規則一五条本文による一定率放流の洪水調節を開始した。雨は午前八時をピークに小降りになつてきていたが、流入量は依然として増加していたので、午後三時より同条但書の適用として九〇〇トン方式による一定量放流に移行し、下流の被害を未然に防止した。
4 九〇〇トン方式
(一) 九〇〇トン方式採用の理由
昭和四七年六月一八日までの洪水調節実績等を検討した結果、毎秒九〇〇立方メートルの一定量放流で洪水調節容量の二分の一程度まで貯留しても、既往洪水について十分調節能力のあることが明らかとなつたので、主として中流部(湯田・宮之城地区)の浸水被害を最小限に留める方式として、以後の洪水にあたつてはこの方法により操作することの承認を九州地方建設局長より受けた。
(二) 九〇〇トン方式の効果
別紙4図ないし8図において、右五、3の(一)ないし(五)の各洪水における流入量を実線、実績放流量を点線、これに九〇〇トン方式を適用した場合の放流量を一点鎖線で示した。
右のとおり過去の洪水を九〇〇トン方式で調節した場合、十分に洪水調節が可能であつた。
本件洪水においては、湯田水位五メートル(最低地盤高標高三三メートル)を維持して中流部の浸水被害を防禦することを目標にして操作され、洪水ピークの第一波(七月五日午後一〇時ころ)と第二波(七月六日午前八時ころ)に対しては十分洪水調節機能を発揮した。
六 本件における降雨状況とその異常性
1 気象概況
(一) 七月二日、中国大陸で発生した低気圧は、五日には日本北西部に達し、この低気圧に向つて東シナ海から非常に湿つた気流が吹き込んだため、この気流に覆われた西日本では、三日から七日にかけ、雷を伴つた局地的大雨が群発し、特に九州、四国地方で大きな災害が発生した。
梅雨前線は朝鮮半島まで南下しており、午前中は雷雨が続いた。九州全域とも太平洋高気圧の周辺に沿つて南西から湿つた暖かい空気が流れ込み、気象状態は引続き不安定であつた。
(二) このような状況下において、川内川流域では山神雨量観測所で、七月四日午前九時から七月六日午後二時の間の総雨量が四八九ミリメートルに達するなどの豪雨となつた。
(三) 右豪雨の特色としては、日本付近の前線や低気圧によるものではなく、太平洋高気圧の外縁部で起こつたこと、非常に湿つた空気の流入によるもので、強い雷雨を伴つたこと、梅雨以来降つた多量の先行降雨に集中豪雨が重なつたため、山崩れ、がけ崩れが多発したこと等が挙げられる。
2 降雨状況
(一) 総雨量
下流川内雨量観測所では、四日午後六時から六日午後四時までの総雨量94.5ミリメートル、鶴田ダムでは四日正午から六日午後二時までの総雨量四八三ミリメートル、山神雨量観測所では四日午前一〇時から六日午後二時までの総雨量四八九ミリメートル、粟野岳雨量観測所では四日午前一〇時から六日午後二時までの総雨量三〇七ミリメートル、狩宿雨量観測所では四日午後一時から六日午後七時までの総雨量五七二ミリメートルを記録した。
(二) 時間雨量
時間雨量についてみれば、川内では五日午後二時〜三時が23.5ミリメートル、狩宿では六日正午〜午後一時が一一一ミリメートル、鶴田ダムでは六日午後一時〜二時が六〇ミリメートル、山神では六日午前九時〜一〇時が九四ミリメートル、粟野岳では五日正午〜午後一時が四九ミリメートルの時間最大雨量を記録した。
(三) ダム直下流域の雨量
本件洪水時の降雨状況を鶴田ダム管理所および川内川工事事務所の設置した雨量観測所の記録並びに鹿児島地方気象台の観測記録により、ダム上流域(ダムより上流全部)、ダム直下流域(ダムより下流湯田橋まで、ダム下流域の一部)および下流域(ダムより下流川内水位観測所まで)に分けて、その流域平均雨量をティーセン法により求めると、別紙5表の1、2および別紙9図記載のとおりである。
これによるとダム上流域とダム下流域の雨量は明らかに下流域が少ないが、上流域とダム直下流域を比較した場合、降雨量の累計並びに降雨の時間的分布状況は上流域とほぼ同じであり、特に降雨の最後の山となつた七月六日の午前八時から午後二時までの連続雨量は上流域89.5ミリメートルに対し、ダム直下流域においては148.9ミリメートルと実に二倍近くに及んでいる。またダム直下流域の正午から午後二時までの二時間雨量99.6ミリメートルは上流域14.3ミリメートル、下流域26.2ミリメートルと比較して、地域的、時間的にも集中した異常な豪雨であつたことを示している。
3 降雨の異常性
(一) 七月五日から翌六日にかけての集中豪雨は、川内川流域においては本件災害のみならず、鶴田ダムより上流に位置するえびの市、菱刈町、大口市等においても、またダムより下流の東郷町、川内市等においても河川の氾濫、内水、山崩れ、道路の決壊等による災害をもたらした。また九州、四国地方にも大災害の爪跡を残し、被災者は死者を含め多数にのぼり、被害程度は甚大であつた。右事実は本件災害の原因となつた豪雨が如何に規模の大きい異常なものであつたかを物語つている。
(二) 本件降雨は、その分布(鶴田ダムを中心とした中流部に集中)、総流出量、降雨継続時間、さらに洪水波形が三つの波頂を有し、かつ、短時間に集中するという、これまで経験したことのない異常で予測困難なものであつたため、結果的に鶴田ダムの最大流入時において洪水調節が事実上不可能となつたものであり、何ら河川管理瑕疵のそしりを受けることはない。
七 本件洪水とダム操作
1 操作状況
(一) 放流の開始
昭和四七年六月二七日の洪水も終わり、翌二八日午後六時三〇分、ダムの放流を停止したのも束の間、翌二九日未明より降り出した雨により鶴田ダムは再び制限水位を維持するための放流を開始しなければならないこととなつた。
このため二九日午前七時三〇分より関係機関へ放流開始予定の通知をするとともに、一般に周知させるため各警報所に設置されたサイレンおよびスピーカーにより午前八時二〇分より順次吹鳴および放送を行ない、さらに警報車による巡回放送を行なつた。放流は午前九時より開始したが、雨は断続的に降り続き、ダムの流入量は徐々に増加していつた。
(二) 洪水調節の開始
七月五日に入り、鶴田ダムへの流入量は毎秒六〇〇立方メートルを超えることが確実となり、午前六時三〇分ころ洪水調節開始の通知を関係機関に対して行ない、午前七時より洪水調節を開始した。
(三) 九〇〇トン方式の適用
午前一一時には放流量が毎秒九〇〇立方メートルに達したので、毎秒九〇〇立方メートルの一定量放流を続けた。
(四) 毎秒一〇三〇立方メートルの放流
雨はその後も降り続き、午後一〇時には洪水調節容量の約二分の一まで貯留したところで、ダム上流の花北、吉松水位はそれぞれ午後八時と九時にピークを過ぎ、降雨量も少なくなり、流入量は下降するものと予想されたが、既往洪水の流入量の低減勾配により流入量曲線を想定し、貯水池残容量を検討したところ、このまま毎秒九〇〇立方メートルの一定量放流を続けた場合、残容量が不足するおそれがあつたので、六日午前二時には湯田水位五メートルを目標に放流量を毎秒一〇三〇立方メートルまで増加させた。
(五) 放流量の増加
六日午前四時には上流で再び降雨があり、降雨量は一〇ミリメートル程度を記録し、花北の水位も上昇傾向にあり、流入量曲線は五日午後一〇時に想定した下降勾配より緩やかになつていたので、このまま毎秒一〇三〇立方メートルの一定量放流を続ければ貯水容量が不足するおそれがあるため、一時間に毎秒一〇〇立方メートルの割合で放流量を増加させていくことにした。
午前八時には、午前四時から七時までの三時間の降雨量が四〇ないし一一〇ミリメートルに達しており、吉松、花北水位も上昇しているので、貯水位を考慮し、放流の増加を続けることにした。
(六) ピーク放流に至るまで
その後午前一〇時には貯水位も一五九メートルを超え、なお相当の降雨(山之神で午前一〇時に九四ミリメートル)が続いており、なお流入量の増加が予想されたので、さらに放流量を増加していつた。
午後二時には貯水池がほぼ満水となつたので、やむなく流入量(毎秒二二六〇立方メートル)に等しい放流を行なつた。
2 ダム操作と災害との非関連
(一) 本件災害の原因
本件災害の原因が七月五日、六日の降雨にあつたことは前述の降雨状況と鶴田ダムへの流入量から明らかである。特に直接の原因が六日午前九時ころより午後二時ころにかけて集中した中流部における豪雨にあつたことも前述した降雨状況から明らかである。
(二) 流量差から見た残流域への降雨
鶴田ダム地点での流域面積は八〇五平方キロメートルで、同地点から宮之城地点までのそれは三分の一にも満たない二二七平方キロメートルであるところ、七月六日午後二時の同ダム地点での流量毎秒二二六〇立方メートルが流下する時刻と推定される同日午後三時ころの宮之城地点での流量は毎秒三六四〇立方メートルに達しており、この流量差毎秒一三八〇立方メートルはダム地点と宮之城地点の間の残流域から流入したこと、すなわち、そこに相当激しい降雨があつたことを示している。
(三) 過放流の不存在
被告が本件洪水時に過放流していないことは、鶴田ダムの流入量がピークの六日午後二時まで単調に標高159.98メートル(ダムの天端高は標高162.5メートルであり、ダムの水位は一六二メートルまで測定が可能である。)まで増加し、貯水位が一度も低下していないこと、ピークに達してからも常時満水位である標高一六〇メートルを越えていないことから明白である。
原告らによる総貯留量計算の基礎となつた放流量は、ダムのゲート部から放流した量であり、この部分はコンクリートによつて整形された、いわゆる定形断面であることから、ダムの水位とゲートの開度によつてかなり正確な放流量を求めることができるが、他方、流量は、前述のいわゆるH〜Q相関図を用いて水位から流入量を推定する等の手法によつて把握していること、これら自然河川の河道はコンクリート水路のような定形断面ではなく、複雑な形態をしているうえ、出水時には流水によつて時々刻々その形状が変化する不定形断面であることなどから、その出水の都度正確に流入量を把握することが困難であるため、多少の誤差が生じるのは技術限界として已むを得ない。原告らの計算は、これら各時間毎に誤差を含んだ流入量等を用い、三十数時間にわたつてこれらを積算した結果、算出されたものに過ぎないのである。
3 本文操作と被害の回避不能
(一) 水位流量の推定方法
仮に旧規則一五条本文に基づき洪水調節をした場合(本文操作)、実際に行なわれた操作(以下「実績操作」という。)と比較して如何なる事象の相違が起こり得るかを考えてみると、それは本件被災地区における浸水時刻の相違並びに鶴田ダムからの放流量の増減に伴う下流水位、流量の増減であるが、それが結果的に浸水流失の被害の程度にどのように影響するかが問題となろう。
そこでまず、本件洪水時において実績操作による場合の湯田、宮之城(屋地川原)地区における流量および水位について推定した。
推定方法は、現在最も多く使用されている洪水流出の計算方法である貯留関数法により本件洪水時の流量を推算し、次にこの推算流量から一般に広く用いられている不等流計算により水位を推定した。
そして同様の計算方法を用い、本文操作による場合の下流各地点の流量および水位を推算し、実績操作の場合との差を推定した。
(二) 推定結果
鶴田ダム地点については実測流入量があるので、湯田・宮之城地点の流入量は、この流入量から本文操作並びに実績操作を行なつた場合のダム放流量にダム下流支川からの流出量を前述の方法により求め、流出時間を考慮し、合算して求めた。その結果は別紙10、11図のとおりである。
水位について前述の方法により推定した結果は、右各図の水位欄に示すとおりである。この計算による各地点の実績操作による最高水位は、別紙12図に示すとおり、洪水痕跡水位とよく合致しており、本計算が妥当であることは明らかである。
参考のために別紙10、11図においては、ダムが存しない場合の両地点における流量および水位を記載した。
(三) 被害の回避不能
(1) 以上のとおり、操作方法の差異により、湯田地点において最大流量で毎秒約四五〇立方メートル、水位で約六三センチメートル、宮之城地点において最大流量で毎秒約四三〇立方メートル、水位で約六〇センチメートルの差が生じたであろうことが推定された。
(2) この水位が被災程度にどのような影響を有するかということになると、被災程度が多数の要因、例えば家屋の流失についてみれば、流失家屋の位置、構造、基礎地盤の状況、地形、流向、流速、上流からの流下物の衝撃等に左右されるということからして、水位、流量の差のみをもつて被災程度の差を論ずることは非常に危険かつ困難であるが、あえて推論すれば、以下のとおりである。
(3) 湯田および宮之城(屋地川原)地区の流失家屋の流失時刻並びに流失直前の浸水状況等の実態を調査結果等から判断してみると、湯田地区においては七月六日正午ころから家屋の流失が始まり、同日午後二時ころまで続き、その時の水位は標高約34.5メートルないし37.0メートルの範囲であつたと推定される。
同じく宮之城(屋地川原)地区においては七月六日午後二時前後であり、その時の水位は標高約二七ないし二八メートルの範囲であつたと推定される。
(4) 本文操作を行なつた場合、湯田地区においては、別紙11図に示すごとく、最高水位において実績操作の方が約六三センチメートル高くなるが、七月五日午後六時ころより約七〇センチメートル以上、本文操作を行なつた場合の方が逆に高くなる。そしてこのことは、浸水地区の最低地盤高が標高三三メートル程度であることから、本件洪水の前期約一五時間にわたり、約五〇センチメートル以上浸水していることになり、更にその現象は六日のピーク時に向けて継続することになる。
すなわち、湯田地区の住民は七月五日午後六時以降は約五〇センチメートル以上も浸水した状態で一夜を過さなければならなかつたことになり、これにより新たな別個の被害も当然予想される。例えば、浸水の早期発生による避難や家財搬出の困難性、浸水時間の長時間化による家屋財産の減損、夜半の浸水による住民の不安増大や人身に関する事故の発生等が想定されるのである。
(5) また家屋の流失が始まつた時刻の水位が標高約34.5メートルとした場合、これ以上の水位に達したら家屋の流失は免れ得なかつたとすれば、本文操作の場合においても標高約34.5ないし36.7メートルの水位が継続しているのであるから、仮に実績操作と本文操作との水位差が約六三センチメートルあつたとしても、実質的には家屋の流失は免れ得なかつたと思われる。
(6) なお浸水による損害についても、殆どの家屋が床上浸水で、かなり高いところまで浸水していることから、本文操作と実績操作の水位差をもつてしても被害の程度に影響を与えることはできなかつたと思われる。
(7) 以上のことは宮之城(屋地川原)地区においても同様である。
(8) 柏原地区の日高末善(原告番号A1)の家屋の流失については、流失時刻を特定して論ずるまでもなく、当該家屋は標高約三一メートルの位置に建てられており、仮に本文操作をしたとしても最高水位は標高約33.77メートルに達していることになり、ほぼ水没の状態になつていることに変りなく、また当該家屋が河岸に面しているという地形的条件から推察すれば、いずれにしても流失は免れ得なかつた。
(9) 大平重義(原告番号E1)所有と主張する山林(右岸42.600キロメートル付近)については、標高二七メートルから四〇メートルの斜面に位置しており、洪水痕跡から推定すると標高約35.60メートルまでは冠水している。本文操作をしたとしてもその水位の低下は約六〇センチメートル程度であり、地形的には湾曲した河道の水衛部にあたつており、洪水時には当然流路を形成する自然河川の河岸ともいうべき所で、河岸の洗掘による崩落決壊も考えられ、流出は免れ得なかつたと思われる。
(10) 以上のとおり、本件洪水は本文操作によろうと実績操作によろうとその被害を免れることができなかつたものであり、その原因は自然現象である降雨が異常であつたことにある。
仮に本文操作によりごく一部の被害の軽減が可能であつたとしても、本文操作を行なつた結果生じたであろう浸水の早期発生による避難や家財搬出の困難性、浸水時間の長時間化による家屋財産の減損、夜半の浸水による住民の不安の増大や、人身に関する事故の発生等を考えるとき、いずれの方法によろうと被害の回避・軽減は不可能であつたと考えられる。
八 河川管理と計画裁量
1 計画裁量の範囲
ダム治水容量の決定・変更は河川の計画規模の中で決定されるものであるが、どの河川に如何なる規模の、どのような治水事業を施行するかは我が国の治水事業の一般的水準、当該河川の既往洪水の状況、河川流域の自然的条件、土地利用人口、資産の集積の状況等を総合的に勘案して決定されるものである。すなわち、その決定行為は広い意味で計画裁量と呼ばれているものに属する事柄である。
従つてある計画規模等の事業決定が違法といい得るためには、わが国の治水の一般的な水準等からみて著しく合理性を欠くような計画規模であることの証明が必要であり、その場合に裁量権の濫用という評価が可能になる。
2 川内川の改修計画規模
(一) 級別区分
川内川の改修計画規模年超過確率八〇分の一は、昭和三〇年代における河川管理上の技術的水準を定めた建設省河川砂防技術基準案からみても妥当なものである。
すなわち、同基準案は河川をその大きさ、洪水防禦の対象となる社会的・経済的重要性、想定される被害の程度、過去の被害の実績などの要素を総合的に考慮して河川の重要度の区分をしている。この河川の重要度は、A・B・Cに級別区分され、A級における基本高水の年超過確率は八〇分の一ないし一〇〇分の一であつた。
川内川の本件洪水当時における治水計画規模年超過確率八〇分の一は全国的にみて決して小さいものではなかつた。
(二) 九州における位置付け
九州の主要河川について、その河川の諸元、流域内人口、生産額、想定氾濫区域等を掲げ、各河川の河川改修に係る確率規模を比較してみると、別紙6表「河川現況及び確率規模調査表」のとおりであり、同表からみても川内川の計画規模がことさら低位に置かれたとは到底いえないのである。
確率規模の決定に当たつては、社会的経済的重要性の指標として同表の各項目が一定の基準により評価されている。確率規模一〇〇分の一となつている筑後川および遠賀川水系については大都市を控えた大河川であり、矢部川水系については想定氾濫区域内人口が大きかつたことから、一〇〇分の一として決定されたものである。
3 治水事業費の投入
(一) 我が国における河川の整備状況
我が国における河川法に基づく河川の延長は昭和五三年調査によれば、一三万四二九七キロメートル(そのうち、一級河川は一〇九水系、一万三〇八〇河川、八万五三二四キロメートル、二級河川は二五九二水系、六四八六河川、三万四四一三キロメートル、準用河川は九四四六河川、一万四五六〇キロメートル)というぼう大なものである。
これらの河川をすべて、それぞれの改修計画に定められている達成目標に対応して整備するのに必要とする投資額は一〇〇兆円と試算されている。
そこで昭和五二年六月閣議決定された第五次五箇年計画によれば、当面の目標を流域面積二〇〇平方キロメートル以上の大河川については戦後三〇年間に発生した最大洪水に耐え得るよう整備することに置き、また早急に改修を必要としている中小河川については時間雨量五〇ミリメートルの降雨(五年ないし一〇年に一回発生)を対象として改修を行なうこととした。そのため、総額七兆六三〇〇億円の巨費を投入し、昭和五六年度末の整備率を大河川については約六二パーセント、中小河川については約二〇パーセントとすることを計画したのであるが、実績は大河川で五八パーセント、中小河川で一八パーセント程度に留まつた。
(二) 川内川の治水事業費
鶴田ダム建設工事が着手された昭和三五年から本件災害が発生した昭和四七年までの一三年間の治水事業費は別紙7表「治水関係事業費推移表」記載のとおりである。同表は、全国・九州・川内川および川内川に隣接し、流路延長、流域面積および流域内人口等が近似する球磨川における各年度毎の治水関係事業費および昭和三五年度を初項とした各年度の伸び率を示すものである。
同表によれば、川内川の治水事業に充てられた事業費は、着実に増加されており、被告が川内川の治水事業を鋭意促進してきたことを示している。本件災害が発生した年の昭和四七年度は例外としても、特に本件災害の前年である昭和四六年度の事業費は、全国が一二六四億八九〇〇万円、九州が一九八億八三〇〇万円、川内川が一五億二四〇〇万円、球磨川が一六億一〇〇〇万円であり、各々昭和三五年度を初項(一〇〇)とした伸び率は、全国が四三四、九州が五七九、川内川五七九、球磨川三四三となる。
このことは、治水事業における財政的な制約があるなかで、九州において川内川の治水事業が最大限の努力をもつて続けられていることを如実に示すものである。
九 原告日高末善らに対する抗弁
1 右原告らの河川敷使用
(一) 原告日高末善(原告番号A1)の流失居宅は、鶴田町柏原北谷川の川内川河川敷1496.7平方メートル上に建築され、本件洪水時に同原告の妻である原告日高初江(原告番号A2)が居住していた。
(二) 原告日高末善は昭和四〇年三月九日から同四六年三月三一日までの間、右河川敷につき鹿児島県宮之城土木事務所長から「畑耕作」を目的とする河川法二四条による占用許可を受けていた。
(三) しかし同四六年四月一日以降、同原告らは何らの使用権原を有していなかつた。
2 自招損害および信義則違反
河川敷は元来河川の流路を形成し、洪水の際には安全にこれを流通せしめ、洪水による被害を除却し、またはこれを軽減させるためのものであるから、平常は水の流れない場所であつても、洪水時において流水のあるのは当然のことといわなければならない。
原告日高末善はほしいままに河川敷に家を建て、原告日高初江は右事情を知りながら居住していたものであり、本件洪水により損害を受けたとしても自らが招いたもので、その責任は専ら右原告らにある。また同原告らの請求は信義則に反し、許されないというべきである。
3 過失相殺
仮に被告が同原告らに対して損害賠償責任を負うとしても、右の事情を斟酌して過失相殺がなされるべきである。
第四 被告の主張に対する認否並びに反論
一 主張一(河川管理をめぐる諸条件)関係
1 1(河川管理の特殊性)について
(一) 冒頭および(一)の事実は否認する。
人工公物・自然公物の概念は相対的なものに過ぎない。多くの河川は築堤護岸等の河川改修や分流等の工事がなされて人為性を帯有する一方、道路にも山間部等で殆ど人為性のない自然発生的なものがある。
(二) (二)の事実は否認する。
道路にも自然発生的なものがあるだけでなく、設置可能か否かは管理責任の有無・程度に直接関係しない。
(三) (三)の事実は否認する。
河川の場合とても河道への水流統御など危険回避手段がある。危険回避の難易により道路等と区別することに合理性はない。
(四) (四)の事実は否認する。
道路の場合でも土石流の発生等の予測が困難な場合があり、河川との間に質的相違はない。仮に洪水予測が難しくて危険度が高いとすれば、それに対応した河川管理が要請される。
(五) (五)の事実は否認する。
道路崩壊等についても実物実験は困難である。
(六) (六)の事実は否認する。
発生可能な洪水規模は有限であり、予測可能な合理的流量の洪水については、これを安全に流下させるよう管理しなければならないものである。
(七) (七)の事実は否認し、1の末尾の主張は争う。
治水を主眼とした多目的ダムでは、治水量を確保し、余力ある場合にその水量が利水として利用させるべきものである。
2 2(河川管理の諸制約)について
河川管理に時間的制約のあることは認め、その余の制約については争う。すなわち、第三者または自然力により危険が発生した場合や、管理者の管理開始以前から洪水の危険を有していた場合に、その危険の除去・回復に社会通念上必要とされる期間内に発生した水害の如き場合には免責されるとすべきであろう。
予算上の制約は道路と同様、河川についても免責事由になり得ないと解すべきである。仮にこれが免責事由となるならば、全国の河川の改修状況、改修順序や河川予算の配分の適否という河川行政そのものを法的俎上にのせることになり、事実上不可能を強いる結果となり兼ねない。
二 主張二(多目的ダムとダム使用権)関係
1 1(特定多目的ダム法の制定)について
右事実は認める。
2 2(ダム使用権)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の事実は認める。
(三) (三)の主張は争う。
(四) (四)の事実は認める。
三 主張三(川内川の諸相)関係
1 1(概況)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)のうち数字の点は不知(但しダム上流の流域面積については認める。)、その余の事実は認める。
(三) (三)の事実は不知。
(四) (四)の事実は不知。
2 2(降雨特性)について
(一) (一)の事実は不知。
(二) (二)の事実は不知。
(三) (三)の事実は否認する。
ダム設置前の昭和二九年ないし四〇年の間の年平均雨量は二九六八ミリメートル、ダム設置後の昭和四一年ないし五五年の間の年平均雨量は二九三六ミリメートル、昭和四一年ないし四七年の間の年平均雨量をとつてみても二九七七ミリメートルで殆ど大差ない。年平均雨量に関する主張は被害との関係で審理の実益がない。
(四) (四)の各事実は否認する。
日雨量一〇〇ミリメートルの年間頻度七回は昭和三二年にもあり、昭和三七年もこれに迫る年間頻度六回であつた。
3 3(河川指定の推移)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の事実は設める。
(三) (三)の事実は認める。
(四) (四)の事実は不知。
(五) (五)の事実は不知。
4 4(改修事業の推移)について
(一) (一)の事実は不知。
(二) (二)のうち、計画高水流量が大口市下殿地点で毎秒三一〇〇立方メートルと定められたことは認め、その余の事実は不知。
(三) (三)前段の事実は不知、後段の事実は認める。
(四) (四)の事実は認める。
(五) (五)の事実は不知。
(六) (六)の事実は不知。
(七) (七)の事実は不知。
(八) (八)の事実は認める。
四 主張四(鶴田ダムの諸相)関係
1 1(鶴田ダムの建設)について
右事実は認める。
2 2(第二ダムの建設)について
右事実は認める。
3 3(治水容量および利水容量)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の事実は不知。
(三) (三)の事実は認める。
4 4(費用負担)について
右事実は認める。
5 5(ダム使用権)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の事実は認める。
6 6(ダムの管理)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の事実は認める。
(三) (三)のうち、気象情報の内容が被告主張のとおりであることは認め、その余の事実は不知。
(四) (四)の事実は認める。
(五) (五)の事実は認める。
(六) (六)の事実は認める。
(七) (七)の事実は認める。
7 7(ダムの操作手順)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)のうち、(1)、(3)、(4)の各事実は認め、(2)、(5)の各事実は不知。
(三) (三)の事実は認める。
(四) (四)のうち、(1)、(2)の各事実および法律関係は認め、(3)の事実は否認する。
五 主張五(鶴田ダムの実績と九〇〇トン方式)関係
1 1(鶴田ダムの建設効果)について
(一) (一)の事実は否認する。
(二) (二)の事実は否認する。
2 (操作実績の概要)について
(一) (一)のうち、別紙15「洪水調節実績表」の(1)ないし(4)の最大放流量欄および(6)欄は認め、その余の事実は不知。
(二) (二)の事実は否認する。
3 3(主たる操作実績)について
(一) (一)のうち、放流量が最大毎秒一〇八九方立メートルに達したことは認め、その余の事実の不知。
(二) (二)のうち、放流量が最大毎秒一二〇六立方メートルに達したことは認め、その余の事実は不知。
(三) (三)のうち、放流量が最大毎秒一四〇〇立方メートルに達したことは認め、その余の事実は不知。
(四) (四)のうち、放流量が最大毎秒一一〇〇立方メートルに達したことは認め、その余の事実は不知。
(五) (五)の事実は不知。
4 4(九〇〇トン方式)について
(一) (一)の事実は否認する。
(二) (二)の事実は否認する。
六 主張六(本件における降雨状況とその異常性)関係
1 1(気象概況)について
(一) (一)の事実は不知。
(二) (二)の事実は認める。
(三) (三)の事実は不知。
2 2(降雨状況)について
(一) (一)のうち鶴田ダム、山神・粟野岳両雨量観測所における総雨量が被告主張のとおりであることは認め、その余の事実は否認する。
(二) (二)の事実は否認する。
(三) (三)の事実は否認する。
3 3(降雨の異常性)について
(一) (一)の事実は不知。
(二) (二)の事実は否認する。
本件洪水時における鶴田ダムへのピーク流入量毎秒二二六〇立方メートルは当時の計画高水流量毎秒三一〇〇立方メートルを下回つているから、瑕疵が推定される。
七 主張七(本件洪水とダム操作)関係
1 1(操作状況)について
(一) (一)の事実は否認する。
(二) (二)の事実は認める。
(三) (三)の事実は認める。
(四) (四)のうち、放流量が六日午前二時に毎秒一〇三〇立方メートルまで増加したことは認め、その余の事実は否認する。
(五) (五)の事実は否認する。
(六) (六)のうち、六日午後二時に流入量(毎秒二二六〇立方メートル)に等しい放流を行なつたことは認め、その余の事実は否認する。
2 2(ダム操作と災害との非関連)について
(一) (一)の事実は否認する。
本件災害の原因がダム放流にあり、支川からの流入水によるものでないことは、本川から支川への逆流現象があつたこと、本件災害時の二日雨量がダム上流369.2ミリメートルに対し、ダム下流145.5ミリメートルであつたことから明らかである。支川からの流入が洪水の主原因というのであれば、昭和四六年八月、同四七年六月の各洪水時におけるダム下流での二日量はそれぞれ四四七ミリメートル、326.8ミリメートルと本件災害時のそれを上回り、洪水が本件災害時より激しかつた筈であるが、実際にはそうでなかつた。
(二) (二)の事実は否認する。
(三) (三)の事実は否認する。
3 3(本文操作と被害の回避不能)について
(一) (一)の事実は不知。
(二) (二)の事実は不知。
(三) (三)は、(2)のうち家屋の流失が流速、上流からの落下物の衝撃に左右されることのみ認め、(2)のその余の事実、(1)、(3)ないし(10)の各事実は否認する。
八 主張八(河川管理と計画裁量)関係
1 1(計画裁量の範囲)について
右主張は争う。
治水容量の決定・変更は住民の生命・財産の安全を図るために定められた法律上の義務である。
2 2(川内川の改修計画規模)について
(一) (一)の事実は否認する。
川内川の改修計画規模年超過確率八〇分の一は治水計画の安全度としては決して充分でない。
(二) (二)の事実は否認する。
3 3(治水事業費の投入)について
(一) (一)の事実は不知。
(二) (二)の事実は不知。
九 主張九(原告日高末善らに対する抗弁)関係
1 1(右原告らの河川敷使用)について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)の事実は認める。
(三) (三)の事実は否認する。
原告日高末善は河川敷に居宅を建築することにつき、担当係官から口頭により了承を得ていた。
2 2(自招損害および信義則違反)について
右事実は否認する。
3 3(過失相殺)について
右主張は争う。
(証拠関係)<省略>
理由
第一 本件災害の発生
次の一ないし四の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
一 鶴田ダムの設置・管理
被告は一級河川川内川の鹿児島県薩摩群鶴田町神子地点に、洪水調節および発電利用の目的で、堤高117.5メートル、総貯留量一億二三〇〇万立方メートルを有する重力式コンクリートダムである鶴田ダムを設置・管理している。
二 降雨概況
昭和四七年七月四日から川内川流域で降り始めた雨は、降り始めから同月六日午後二時ころまでに、上流の宮崎県えびの市万年青平雨量観測所で四九三ミリメートル、鹿児島県始良群吉松町粟野岳雨量観測所で三〇七ミリメートル、鶴田ダム地点で四八三ミリメートル、ダム周辺の大口市山神雨量観測所で四八九ミリメートルの多きに達した。
三 ダム流入・放流量の概要
右の降雨により鶴田ダムへの流入量は同月五日午前七時に毎秒六〇〇立方メートル、同日午後一〇時に毎秒一七八〇立方メートル、翌六日午前八時に毎秒一八一四立方メートル、同日午後二時に毎秒二二六〇立方メートルとなつた。
これに対し同ダムからの放流量は、同月五日午前一一時から同日午後一〇時までの間、毎秒九〇〇立方メートルの一定量に定められ、その後は同月六日午後二時に流入量に等しい毎秒二二六〇立方メートルに達するまで増加していつた。
四 災害の発生
川内川の流量の増加により、同月六日、鶴田町植原地区、宮之城町湯田・屋地川原両地区において、家屋が多数流失するなどの災害が発生した。
(なお、本件災害の規模、範囲については後に検討することとする。)
第二 川内川および鶴田ダムの概況
一 川内川の概況
川内川が熊本県球磨郡白髪岳にその源を発し、南下して宮崎県西諸県盆地(加久藤平野)に出、長江川、二十里川、池島川等の支川を合わせ西流し、鹿児島県に入り、吉松町、粟野町の狭窄部を経、途中わん曲蛇行しながら菱刈町湯之尾に至り、高さ約五メートルの湯之尾滝を通り、更に菱刈盆地を通過し、羽月川を合流して曽木の滝に至ること、この滝を通過した川内川が鶴田ダムを経由し、中流部の狭窄部をわん曲蛇行しながら、左右両岸の小支流を合わせつつ下流に至り、川内平野を貫流して東支那海に注いでいること、川内川の流域が熊本県、宮崎県、鹿児島県にまたがること、流域面積が鶴田ダム地点でほぼ二分割され、上流域の面積が八〇五平方キロメートルであること、流域内の主産業が農業であること、以上の事実は当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、川内川流域内の人口は約二四万八〇〇〇人(昭和四〇年国勢調査)、流域面積は約一六〇〇平方キロメートル、河川延長は六二九メートル、そのうち幹川流路延長は一三七キロメートル、源流が発する白髪岳の標高は海抜一四一七メートルであること(従つて河川全体の勾配は約一〇〇分の一である。)、そのほか、流域内人口密度、就労人口、一次生産額、製造品出荷額、想定氾濫区域面積、想定氾濫区域内人口、および人口密度、確率規模(但し当事者間に争いがない。)およびその策定年度、並びにこれらの数値と九州地方の主要河川の同様の数値との対比は別紙6表「河川現況及び確率規模調査表」記載のとおりであること、川内川および鶴田ダム、各雨量観測所、水位・流量観測所等の位置関係が別紙2図「川内川流域図」記載のとおりであること、以上の事実が認められる。
二 降雨特性
<証拠>によれば、次の1および2の各事実が認められる。
1川内川流域における昭和二九年から昭和五五年までの間の年間総雨量は、別紙8のとおりである(一〇ミリメートル未満は四捨五入する。)。これによれば、右二七年間の全流域年間平均雨量は二八〇〇ミリメートルであり、同流域がかなりの多雨地域に属していること、本件災害の発生した昭和四七年の年間総雨量は、全流域において三七五〇ミリメートル(昭和二九年に次いで第二位)、宮之城より上流域において四〇八〇ミリメートル(第一位)、宮之城より下流域において三一〇〇ミリメートル(第五位)とかなり大きな数値を示している。
2鶴田ダムより上流域にある山野雨量観測所と白鳥雨量観測所における昭和三〇年から昭和五四年までの間の日雨量の単純平均値のうち一〇〇ミリメートル以上の降雨の頻度は別紙13図のとおりである。これによれば、本件災害の発生した昭和四七年において日雨量一〇〇ミリメートル以上の降雨回数は七回で、昭和三二年と並んで最多であり、そのうち日雨量二〇〇ミリメートルを超えるものが二回、日雨量一五〇ないし二〇〇ミリメートルのものが三回であるところ、昭和三二年においては前者が一回、後者が二回であるから、昭和四七年の降雨規模の方が大きかつたといえる。
三 河川改修事業等の推移
1鶴田ダム建設当時、川内川の改修計画規模が年超過確率八〇分の一(二日雨量三三五ミリメートル)であり、川内地点における基本高水のピーク流量は毎秒四一〇〇立方メートルであつたが、昭和六年に始まつた下流部の河川改修が既に毎秒三五〇〇立方メートルの改修計画でほぼ概成していたので、既計画からの増加分毎秒六〇〇立方メートルを鶴田ダム建設後の洪水調節により対処することとして改修計画が策定されたこと、昭和四一年四月一日、これまでの改修計画、鶴田ダムの建設計画等を基本として検討された結果、川内川水系工事実施基本計画(旧基本計画)が定められ、右のとおり基準地点川内における基本高水のピーク流量を鶴田ダムにより調節する計画が決定されたこと、本件洪水後、鶴田ダムの洪水調節容量が七五〇〇万立方メートルに増加されることとなり、被告はダム使用権者の電源開発と協議を重ね、補償金二七億二〇〇〇万円を昭和四八年度から五〇年度までの三年間に分割して支払い、利水容量を洪水調節容量に充当したこと、以上の事実は当者間に争いがない。
2<証拠>によれば、次の(一)ないし(六)の各事実が認められる。
(一) 昭和六年、川内地点における計画高水流量が毎秒三五〇〇立方メートルと定められ、東郷町から下流河口に至る本川と支川隈之城川、平佐川の下流区間について、築堤、掘削、護岸等の直轄改修事業が開始された。
(二) その後、昭和一八年九月洪水に鑑み、同二三年から大口市下殿地点での計画高水流量が毎秒三一〇〇立方メートル(右の数値は当事者間に争いがない。)と定められ、本川上流の飯野町(えびの市)から下流の大口市までの区間、および支流池島川、長江川、羽月川等の主要区域において築堤、掘削、護岸、菱刈捷水路の開削等の直轄改修事業が開始された。
(三) 更に昭和三四年に同二九年八月および同三二年七月洪水に鑑み、計画の再検討が行なわれ、鶴田ダムの建設が計画された。
(四) 建設大臣は昭和四六年三月二〇日、建設省告示三九六号により、第二ダム下流の高嶺川合流点から湯田、屋地川原地区を経、東郷町までの区間を直轄管理区間に編入し、更に同四七年四月二六日、建設省告示八八一号により、鶴田町から高嶺川合流点までの区間をも直轄管理区間に編入した。
(五) 本件洪水直後の昭和四七年八月、川内川水系の恒久的な治水対策を立案するために学識経験者等で構成された川内川治水計画技術委員会が設けられ、それまでの出水の実態を解明し、治水上の総合的、合理的方策について検討協議を行ない、その成果は昭和四九年八月、「川内川治水計画検討報告書」(乙第一七号証)として発表された。
(六) 昭和四八年三月三一日、計画規模を年超過確率一〇〇分の一(二日雨量四二五ミリメートル)とした川内川水系工事実施基本計画(新基本計画)が策定された。同計画において基本高水のピーク流量は基準地点川内において毎秒九〇〇〇立方メートルとされ、そのうち鶴田ダムおよび中流ダム群により毎秒二〇〇〇立方メートルが調節されることとされた。鶴田ダムにおいて毎秒四六〇〇立方メートルの流入量を毎秒二四〇〇立方メートルに調節し、残流域からの流出を合わせ、湯田・宮之城地点においてそれぞれ毎秒三三〇〇立方メートル、および毎秒三五〇〇立方メートルとし、基準地点川内において毎秒七〇〇〇立方メートルとする計画であつた。鶴田ダムの本件洪水後の治水容量の増加は右新基本計画に基づくものである。
四 鶴田ダムの建設等
1次の(一)ないし(六)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
(一) 鶴田ダムは、ダム地点における計画高水流量毎秒三一〇〇立方メートルのうち毎秒八〇〇立方メートルを貯留し、下流川内基準地点における流量毎秒四一〇〇立方メートルを毎秒三五〇〇立方メートルに低減させ、毎秒六〇〇立方メートルの低減効果をもたらす一方、貯留した水を利用し、第一発電所において最大出力一二万キロワット、第二発電所において一万五〇〇〇キロワットの発電を行なう多目的ダムとして計画された。鶴田ダムは昭和三五年六月、本体工事に着工し、同四一年三月、竣工した。当時の諸元は別紙12「鶴田ダム諸元」に記載のとおりである。
(二) 第二ダムは、鶴田ダムにおいて毎秒一五〇立方メートルの取水をしてピーク発電を行うため下流での水位が変動することから、これを避けるため一時使用した水を貯留し、流量を平滑化(いわゆる「逆調節」)するとともに、併せて発電を行なう目的で電源開発が建設し、昭和三九年一二月から発電を開始したものである。その諸元は別紙13「第二ダム諸元」に記載のとおりである。
(三) 鶴田ダムの治水(洪水調節)容量は、計画降雨量(二日雨量)三三五ミリメートルを昭和二九年八月洪水の降雨パターンと昭和三一年七月洪水の降雨パターンとにより降らせた洪水波形を求め、洪水調節図を作成して四二〇〇万立方メートルと決定された。
(四) 鶴田ダムについては洪水区域内に既存の発電所があつたため、その代替をも含めて電気事業が利水者として参加することになり、有効貯水量最大七七五〇万立方メートルを利用して最大出力一二万キロワットの発電を行なうことにより、水資源の有効利用による国民生活の安定と国民経済の発展を図るというダム法の目的に沿つた建設計画が策定された。
(五) 鶴田ダム建設費用の負担区分は、国および鹿児島県の負担割合(治水分)を建設費用の一〇〇〇分の四八七、電源開発の負担割合(利水分)を一〇〇〇分の五一三と定められた。
これに対し竣工額は概算一三六億三八〇〇万円となつたので、これを右の負担割合に応じ、治水負担が六六億四一〇〇万円、利水負担が六九億九六三〇万円となつた。
(六) 鶴田ダムの水力発電に係るダム使用権は、ダム法一五条により、昭和四二年四月一二日、電源開発に対して設定された。ダム使用権設定の目的は、川内川第一発電所および川内川第二発電所における発電のためであり、鶴田ダムにおいてダム使用権により貯留が確保される流水の最高・最低の水位並びに量は別紙14「ダム使用権一覧表」のⅠ欄記載のとおりであつた。
右ダム使用権は、川内川水系工事実施基本計画の改訂に伴い、鶴田ダムの治水容量の増加を利水容量の充当によつて実現されることになつたため、昭和四八年六月九日、ダム使用権の一部放棄により、右一覧表のⅡ欄記載のとおりに変更された。
2鶴田ダムの洪水調節容量決定の理由について検討するに、<証拠>によれば、前記計画降雨量(二日雨量)三三五ミリメートルを昭和二九年八月洪水パターンにより引伸し、洪水調節図(Ⅰ型)を作成すること、ピーク流入量が毎秒二八〇〇立方メートルになり、洪水調節量をおよそ毎秒七〇〇立方メートルとすれば、最高貯水位は海抜158.83メートル、昭和三二年七月洪水パターンで引伸した洪水調節図(Ⅱ型)を作成すると、ピーク流入量が毎秒三〇九三立方メートルになり、洪水調節量をおよそ毎秒八〇〇立方メートルとすれば、最高貯水位は海抜156.54メートルで、いずれも標高146.5メートルから同160.0メートルまでの容量四二〇〇万立方メートルの範囲内に充分に収まるとされ、鶴田ダムの洪水調節容量が決定されたことが認められる。
第三 鶴田ダムの管理および操作
一 ダムの管理
1次の(一)ないし(六)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
(一) 鶴田ダムの操作規則(旧規則)は、昭和四二年五月一五日建設省訓令八号として建設大臣により制定され、この規則に基づく操作細則(旧細則)は、昭和四二年一二月六日九建規二八号として九州地方建設局長により制定された。
なお、川内川水系工事実施基本計画の改訂による鶴田ダムの洪水調節容量の増加に伴う規則および細則の改正は、昭和四八年六月九日建設省訓令四号(規則)および昭和四八年六月一一日九建規一七号(細則)として行なわれた。
(二) 洪水調節の方式を分類すれば、自然調節方式(穴あきダム方式)、一定量調節方式、一定率一定量調節方式等がある。後者は洪水の流入量のうち一定の流量以上についてピーク流量まで流入量に対して一定の率で貯留を行ない、ピーク以降は一定量を放流するもので、最も一般的な方式であつて、中小洪水の場合にも効果が期待できる。鶴田ダムはこの方式によつている。
(三) ダムの日常における管理業務は、
(1) 気象・水象等について調査測定を行なう。
(2) 点検整備基準、調査測定基準に従い、定期的に点検整備および調査測定を行ない、ダムの正常な機能が保持されるよう安全管理を行なう、
(3) 貯水池岡辺およびダム周辺を定期的に巡視し、貯水池が正常な状態に維持されるよう管理を行なう
もので、ダムの施設管理および機械管理である。
(四) 鶴田ダムが予備警戒体制に入る要件は、
(1) 鶴田ダム流域内において連続雨量七〇ミリメートルを超えたとき、または超えると予測されるとき、
(2) 流入量が毎秒一五〇立方メートルを超えたとき、または超えると予想されるとき、
(3) 台風の中心が東緯一二四度から一三五度の範囲において北緯二七度以上に接近したとき、
(4) 鹿児島気象台から降雨に関する注意報または警報が発せられたとき、
(5) 貯水位が制限水位または満水位に達するおそれがあるとき
である。
その業務内容は、
(1) 鹿児島気象台からの台風並びに降雨に関する情報に注意するとともに、天気図を発表ごとに記録する、
(2) テレメーター雨量局による流域内の降雨の状況の把握、
(3) テレメーター水位局によりダムへの流入量の予測および状況の把握、
(4) 貯水位の変動の状況および発電の取水量の状況把握、
(5) 通信設備、警報設備の点検
等である。
(五) 放流体制は規制二〇条各号の規定該当のとき所長が発令するもので、その業務内容は、
(1) 九州地方建設局長に直ちに報告、
(2) 気象状況に特に留意し、天気図は発表毎に記録し、時間雨量並びに時間雨量曲線により流入量を予測し、鈴之瀬地点のH〜Qより流入量の算定を行なう、
(8) 放流開始の時間、放流量の決定を行なう、
(4) 放流量は規則・細則に基づく放流方式により、コンジットゲートにて放流を行なう、
(5) 放流開始に先立ち、通信設備、警報設備、放流設備等の点検を行なう、
(6) 常に流入量と発電取水量および貯水位の状況を把握する、
(7) 放流を開始するにあたつては、規則・細則の定めるところにより約二時間前に通知する、
(8) 警報所よりの警報は、放流開始によつて増水する約二時間前および約三〇分前に、サイレンの吹鳴およびスピーカーによる放送をもつて行なう、
(9) 警報車による警報は水位が上昇すると認められる約三〇分前に行なう等である。
(六) 洪水警戒体制に入る要件は、規則一二条、細則三条一項各号によるもので、細則三条一項一、二号が第一段階、ダムから放流を行なおうとするときが第二段階、規則二〇条五号が第三段階に分けられている。各体制時の勤務編成は鶴田ダム災害対策計画に定められ、所長が発令し、状況に応じて人員を増減することがある。
その業務内容は放流体制時と殆ど変りないが、
(1) 気象台の情報および流域内の降雨の状況により、洪水調節計画を立て、予備放流について検討し、予備放流水位を定め、予備放流を行なう、
(2) 洪水調節計画は気象資料により総雨量を推定し、洪水波形により必要貯水池容量を求める、
(3) 降雨その他の状況により、必要に応じ、洪水波形の修正を行なう、
(4) 洪水調節に関する状況は、適時、九州地方建設局長に報告し、必要に応じ、関係機関に通知する、
(5) 放流量は規則・細則の放流方式に従つて、各ゲートにより放流を行なうとともに、規則に定められた事項について記録しておく
等である。
2右の事実によれば、ダムの管理体制には気象官署からの気象情報が不可欠であると認められるが、気象情報の内容が、
(一) 時間的には、半日ないし一日程度とか、今夕から夜半にかけてというおおまかな時間幅であり、
(二) 量的には、例えば一五〇ないし二〇〇ミリメートルという程度のもので、
(三) 面的には、県域あるいは県の山間部と平地部、北部と南部、または沿岸部と内陸部というような広い範囲にわたるものである
ことは当事者間に争いがない。
二 ダムの操作
1次の(一)ないし(三)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
(一) 昭和四七年当時、洪水調節の方法には旧規則一五条(別紙7)の本文による方法と但書による方法とがあつた。
本文による方法は、毎秒の流入量から六〇〇立方メートルを差し引いた残量に0.68を乗じて得た量に六〇〇立方メートルを加えた量を毎秒の放流量とし、放流量が毎秒二三〇〇立方メートルに達した後は、毎秒二三〇〇立方メートルを放流し、流入量と放流量が等しくなるまで放流を続け、その後はすみやかに制限水位に低下させるため、下流に支障を与えない流量を限度として放流を行なうものである。
但書による方法は、気象、水象、その他の状況により特に必要と認める場合、右の操作によらないとするものであるが、これは、洪水には出水規模の大小の差違や洪水波形の異同があり、また下流に未改修区間があつて、本文どおりの操作を行なえば下流域に被害が生じたり、洪水調節容量が有効に使用されなかつたりすることがあるため、過去の操作実績、気象および水象を勘案して、ダム所長の判断により行なわれるものである。
(二) 流入量把握の方法としては、ダム貯水池未端直上流部に水位流量観測所を設け、水位と流量の観測を行ない、この観測資料から予め水位(H)と流量(Q)との関係式あるいは相関図を作成し、観測地点における水位を知ることにより、その地点の流量を求める方法(H〜Q方式)と、ダムからの放流量とダム貯水位の時間的変化を観測し、放流量および時間あたりの貯留量から、その和として流入量を求める方法(H〜V方式)とがある。
鶴田ダムにおいては、旧細則二条一項によりダムへの流入量は、原則として鈴之瀬地点の流量をもとに算定することになつていたが、同項但書によつて、貯水位の上昇または低下の時間的な割合から算定した数値により流入量を修正することができることになつていた。なお新細則二条によれば、ダムへの流入量は貯水位の上昇または低下の時間的割合から算定する、いわゆるH〜V方式を原則とすることとなつた。
(三) 旧規則二〇条により放流を行なう場合、流入量に基づいて放流量が決定されるが、放流の方法は旧規則二五条に規定するとおり、コンジットゲート(放流管に設置される主ゲートで、高圧高速流の調節をする。)の操作により行なうことを原則とし、これによつて所要の放流を行なうことができないときは、クレストゲート(堤頂越流部に設置されるゲート)を操作して放流を行なうこととなつていた。
放流量が決定されると、貯水位とゲート開度と放流量の相関図からゲート開度が決定され、コンジットゲートあるいはクレストゲートを操作することとなる。ゲート開閉の順序および一回の開閉限度が決められており、三門のゲートにかかる圧力がなるべく等しくなるようにしてゲートの保護を図つている(旧細則一六条)。これらゲートの操作は管理所内にあるゲート操作盤によつて、所定の開度まで電動によつて行なう。
2<証拠>を総合すれば、H〜Q方式は前以て作成された図表等によりダム貯水池末端直上流部の水位から流入量を簡単に求めることができるが、同地点からダム地点までの間の残流域(鶴田ダムの場合、約八〇平方キロメートル)での降雨量および浮子による流速の測定並びに流速観測に基づく推計につき誤差が生ずる余地があり、またH〜V方式に比較し、降雨のピーク時点での数値が高目に出る傾向のあること、これに対しH〜V方式により流入量を把握する場合、貯水池で計測するための残流域の流入量も加えた量で把握することができるが、セイシュと呼ばれる振動、風による吹き寄せ、ゲート操作による水位変動が生じて観測値にバラツキが生ずるなどの長短のあることが認められる。
第四 鶴田ダムの操作実績
一 ダムの操作実績の概要
<証拠>によれば、次の1および2の各事実が認められる。
1昭和二九年から同五一年の間の主要洪水(川内川18.3キロメートル地点に位置する斧渕水位観測所における最高水位が五メートルを超えるもの)について、鶴田ダム上流の下殿水位観測所地点(66.25キロメートル地点、流域面積八〇五平方キロメートル)および同ダム下流の湯田水位観測所地点(41.9キロメートル地点、流域面積八八三平方キロメートル)における最大流量を図表化すると、別紙3図「主要洪水の実績流量」記載のとおりとなる。
同図において、鶴田ダムが設置された昭和四一年以降、本件洪水時を除けば、上流の殿地点の洪水量に対する下流湯田地点の洪水量の割合がダム設置前に比して小さく、かえつて前者の洪水量が後者のそれを上回つたことが四回あつた。
なお、下流地点での実績流量が毎秒二〇〇〇立方メートルを超えたことは昭和二九年から昭和五一年までの間、昭和四七年に一回あつたのみで、(毎秒二〇九〇立方メートル)、それは本件洪水時のものと推認される。
2鶴田ダムの各最大流入量の年月日が昭和四四年六月三〇日、同四六年七月二三日、同年八月六日、同四七年六月一八日、同年同月二七日および同年七月六日(本件洪水)である六洪水における流域平均雨量、鶴田ダムの貯水位、同流入量および放流量、湯田および川内における各水位は別紙14図ないし19図記載のとおりであり、右各図から鶴田ダムの最大流入量と最大放流量、その差である洪水調節による低減量を求めると、別紙15「洪水調節実績表」記載のとおりになる(右のうち、同表(1)ないし(4)の最大放流量欄および(6)欄は当事者間に争いがない。)。
同表のとおり、鶴田ダムは右の六洪水のうち本件洪水時を除けば、最大流入時において洪水量を低減する洪水調節機能を果している。
二 昭和四六年の二洪水の状況
<証拠>によれば、昭和四六年に発生した川内川の二洪水について次の1および2の各事実が認められる。
1同年七月二三日洪水の状況
(一) 同年七月二二日、済州島東海上の低気圧から延びた前線が南部九州に達し、一方、南方に発生した台風一六号、一八号の影響により湿潤な空気が流れ込み、日本海に流入した寒気とあいまつて九州南部に局部的に雷雨性の豪雨をもたらした。同日午前九時から同月二四日午前二時までの間の降雨量は、鶴田ダム下流域の域上において419.1ミリメートル、紫尾山において三八九ミリメートル、鶴田ダム地点において三三九ミリメートルであつたが、同ダム上流域での降雨量は右数値をかなり下回つた。時間最大雨量は二三日午後八時から九時の間、紫尾山における110.5ミリメートルであつた。
(二) 前叙のとおり、二三日午後一〇時に鶴田ダムへの流入量が最大の毎秒一四九二立方メートルに達した後は、流入量が急激に減少し始めた。同ダムでは操作を一定量放流に切換えて流入量が放流量よりも減少するのを待つた。二四日午前二時一〇分、流入量が放流量と等しくなり、同ダムでは一定開度に移る予定であつたが、下流域で大雨となり、川内市で危険水位を突破して上昇中であつたため、流入量と放流量とを等しくさせ、下流の水位低下に努めた。その後、川内の水位は低下したが、支川高城川(位置は前出2図のとおりで、本川河口に近い。)が破損したため、本省の指示により、二四日正午から発電放流は四時間、ダム放流は八時間停止した。その間の同ダムの最高水位は標高151.18メートルであつた。
(三) ダムの下流域支川での出水が激しかつたため、湯田・宮之城地区で二三日午後六時ころより水位が上昇し、浸水家屋が続出した。高城川の破堤により川内市の西部はすべて冠水した。
2同年八月六日洪水の状況
(一) 同年八月三日夜半、台風一九号の九州接近により鹿児島県下では局地的な大雨となつた。同月五日早朝台風が通過した後も気圧の谷の影響が残り、高湿潤空気の収束流入により北薩地方は大雨となつた。八月三日正午から六日午前五時までの間の降雨量は、鶴田ダム上流域の粟野岳において七五一ミリメートル、同ダム下流域の紫尾山において五三四ミリメートル、同ダム地点において三八四ミリメートルであつた。時間最大雨量は五日午後八時から九時の間、同ダム下流の入来における六四ミリメートルであつた。
(二) 同ダムでは五日午前〇時より洪水調節を開始した。降雨は間断なく続き、川内川が増水を続け、午後二時に川内市で危険水位を突破したため、午後二時二〇分、九州地方建設局長より同ダムに緊急操作の指令が出された。これにより午後二時五〇分以降、毎秒八〇〇立方メートル(ダム放流毎秒六七〇立方メートル、発電放流一三〇立方メートル)の一定量放流となつた。しかしその後も降り続く雨のため流入量は増大していつた。川内市での水位が下降するにつれ、洪水調節容量確保のため放流量を漸次増加され、六日午前二時五〇分、毎秒一四〇〇立方メートルの最大量放流(右数値は当事者間に争いがない。)に達した。流入量は同日午前二時、毎秒一八五八立方メートルをピークとして下降し始めたため、午前四時四〇分から毎秒一三七〇立方メートルの一定量放流となつた。流入量が減少するにつれ、放流量は午後一時三〇分から毎秒一二七〇立方メートルとし、その後は一定開度放流となつた。放流が停止されたのは八日午前九時四〇分のことであつた。
(三) ダムにおける緊急操作の結果、川内の水位は6.45メートル程度に留まつたが、入来方面での前述の豪雨のため、支川樋脇川(位置は前出2図のとおり)が増水し、計画高水位(6.96メートル)を突破した。しかしその後、降雨は止み、破堤は生じなかつた。
第五 本件洪水時における気象とダム操作
一 気象および災害の状況
<証拠>によれば、次の1ないし5の各事実が認められる。
1昭和四七年七月四日午前九時、黄海北部に低気圧があり、厳原と済州島の間には不安定線が見られ、これに関連して南西のジェット流も見られ、しかも九州地方はかなり湿つていた。この低気圧は北東へ進み、五日午前九時には沿海州の南海上にあつて、中心から南西に伸びる前線は朝鮮海峡を通り、ゆっくり南下する傾向にあつたが、六日午前九時には太平洋高気圧が勢力を増して九州地方に張り出し、前線は姿を消した。しかし高気圧の縁辺ではかなり湿つた南西の風が卓越し、また厳原付近でメソ的な高気圧が形成され、その前面にある気圧の谷が通過する時点で下層における収束が大きくなるとともに、上層まで対流不安定が強まつたために豪雨となつた。
2同月四日から五日にかけての豪雨により、高知県土佐山田町繁藤では山津波により多数の犠牲者が出た。また同月三日から六日にかけての豪雨により、宮崎県えびの市西内整地区で大規模な山津波が発生した。更に同月六日、熊本県天草上島に集中豪雨があつて、壊滅的な被害が生じた。
3本件災害の前後における川内川流域地点で時間雨量について見ると、上流およびダム付近における時間雨量の変遷は別紙16の1ないし3「時間雨量表(上流・ダム付近)」記載のとおりであり、中・下流域における時間雨量の変遷は別紙9表の1ないし3「時間雨量表(中・下流域)」記載のとおりである。
右各表によれば、時間最大雨量は、万年青平で五日午前三時〜四時が五一ミリメートル、粟野岳で五日正午〜午後一時が四九ミリメートル、青木で六日午前一〇時〜一一時が五三ミリメートル、山神で五日午前六時〜七時が五七ミリメートル、鶴田ダムで六日午後一時〜二時が六〇ミリメートル、第二ダムで六日正午〜午後一時が一一一ミリメートル、狩宿で六日正午〜午後一時が一一一ミリメートル、紫尾山で五日午前六時〜七時が三七ミリメートル、紫尾で五日午後一時〜二時が三七ミリメートル、宮之城で六日正午〜午後一時が四六ミリメートル、北方で六日正午〜午後一時が二五ミリメートル、大村で五日午前七時〜八時が一四ミリメートル、入来で五日午前八時〜九時が9.5ミリメートル、山田で五日午後一時〜二時が二七ミリメートル、城上で五日午前六時〜七時が一七ミリメートル、川内で五日午後二時〜三時が23.5ミリメートルであり、局地的かつ波状的な豪雨であつたと認められる。
4総雨量は、川内雨量観測所で四日午後六時から六日午後四時までの間に94.5ミリメートル、狩宿雨量観測所で四日午後一時から六日午後七時までの間に五七二ミリメートルと算出される。
(なお、鶴田ダムで四日正午から六日午後二時までの総雨量が四八三ミリメートル、山神雨量観測所で四日午前一〇時から六日午後二時までの総雨量が四八九ミリメートル、粟野岳雨量観測所で四日午前一〇時から六日午後二時までの総雨量が三〇七ミリメートルを記録したことは前述したところである。)
5本件洪水による一般の被害は、別紙10表「一般被害一覧表」に記載のとおりである。
同表によれば、宮之城町、鶴田町における流失戸数はそれぞれ一一四戸、四戸と大きいが、鶴田ダム上流のえびの市における流失戸数は一九戸、同市、菱刈町、大口市における全壊戸数はそれぞれ三四戸、三六戸、四七戸と、ダムの上流における被害も大きく、また薩摩町(前項乙第二八号証によれば、宮之城町で本川と合流する穴川およびその支川の流域が大部分であると認められる。)における半壊戸数三三戸も注目される。
二 ダム操作の状況
1昭和四七年七月五日に鶴田ダムへの流入量が毎秒六〇〇立方メートルを超えることが確実となり、午前六時三〇分ころ洪水調節開始の通知が関係機関に対して行なわれたこと、本件洪水時における鶴田ダムでの秒あたりの流入量および実績放流量がそれぞれ別紙1表(一)および(四)欄記載のとおりであること(但し、(一)欄の(6)、(14)、(18)の数値を除く)、両日午前一一時から午後一〇時ころまでの間、毎秒九〇〇立方メートルの一定量放流が続けられたこと、その後、放流量は六日午前二時の毎秒一〇三〇立方メートルを経、同日午後二時に流入量(毎秒二二六〇立方メートル)と等量に達したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、別紙1表(一)欄(流入量)の(6)(五日正午)は一一五四(立方メートル毎秒。以下同様)、(14)(同日午後八時)は一七四六、(18)(六日午前〇時)は一七四六の各数値が正しいものと認められる。
2<証拠>によれば、次の(一)ないし(五)の各事実が認められる。
(一) 本件洪水の前後において、鶴田ダムからの放流(発電のための放流を除く)が開始されたのは六月二九日午前九時であり、流入量毎秒二三四立方メートルに対し、発電のため毎秒一六〇立方メートル、ダム管理所側で毎秒三〇立方メートル、合計毎秒一九〇立方メートルが放流された。なお、放流(前同)が停止されたのは七月九日午後一〇時のことであつた。
(二) 七月五日午前七時にダムへの流入量が毎秒六〇〇立方メートルに達したため、洪水調節が開始された。同日午前一一時に放流量は毎秒九〇〇立方メートルに達し、一定量放流となつたが、同日午後一〇時には洪水調節容量の約半分を使用したので、湯田における水位を見ながら放流量が増加されていつた。
(三) 六日午前四時以降、それまで減少気味であつた流入量が増加し始めたので、放流量も漸次増加されていつた。同日午前九時ころ、鶴田小学校より学童を帰宅させるため放流停止の要請があつたが、鶴田ダムでは流入量の減少傾向を見ながら放流量の増加を一時抑えた。しかし同日午前一〇時に山神地点に時間雨量九四ミリメートルの降雨が見られたため、洪水調節容量がなくなるとの判断のもとに放流量を流入量に近付け、同日午後二時の前記ピーク流入・放流量毎秒二二六〇立方メートル(右数値は当事者間に争いがない。)に至つた。同時点でのダム貯水位は標高159.98メートルであつた。
(四) ダム貯水位は別紙19図のとおり、ピークに至るまで漸増して、一度も低下しておらず、また満水位である標高160.00メートルを越えていないことから過放流の存在は否定される(右認定に反する甲第一二号証の記載および証人松崎仁の証言は、誤差を伴う流入量および貯留量の積算結果にのみ依拠するものであつて、右の客観的事実に反するから、いずれも採用しない。)。
(五) 本件洪水時において、洪水調節の前提となる流入量の把握方法としては、当初、H〜Q方式が採られていたが、七月五日午前〇時ころから制限水位維持を目的としてH〜V方式に切換えられ、同日午前一〇時からH〜Q方式に戻り、同日午後六時から六日午前四時ころまでの間、H〜Q方式による数値が一部H〜V方式で修正され、それ以降、H〜V方式が採られた。右のように二種の方式が混用されたのは、H〜Q方式によると、流入量の上昇曲線から下降曲線に移る際に、流入量の数値が大目に出るなどの傾向があつて、修正を必要としていたためであつた。
第六 洪水調節容量不足の主張について
一 洪水調節容量の変遷
1次の(一)ないし(三)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
(一) 本件洪水当時の鶴田ダム操作規則(旧規則)によれば、同ダム貯水池の満水位は標高160.0メートル(六条)、洪水期間における制限水位は、六月一一日から八月三一日までの期間(第一期)においては標高146.5メートル、九月一日から九月三〇日までの期間(第二期)においては標高154.0メートル、一〇月一日から一〇月一五日までの期間(第三期)においては標高157.0メートル(七条)とされ、洪水調節は標高146.5メートルから標高160.0メートルまでの容量最大四二〇〇万立方メートルを利用して行なうもの(一〇条)と定められていた。
(二) 被告は鶴田ダムの建設当時、川内川の治水計画規模を年超過確率八〇分の一(全流域平均最大二日雨量三三五ミリメートル)とし、基本高水のピーク流量を鶴田ダムの上流大口市下殿の基準地点で毎秒三一〇〇立方メートル、下流川内市斧渕の基準地点で毎秒四一〇〇立方メートル、鶴田ダムによる調節流量を毎秒六〇〇立方メートル、これによる同地点における計画高水流量を毎秒三五〇〇立方メートルと計画し、このため鶴田ダムによる調節流量を毎秒八〇〇立方メートル、放流量を毎秒二三〇〇立方メートルとし、洪水調節容量を四二〇〇万立方メートルと定めた。
(三) 昭和四八年六月九日、鶴田ダム操作規制が改訂され、同ダムでの洪水調節は標高131.4メートルから標高160.0メートルまでの容量最大七五〇〇万立方メートルを利用して行なう(新規則一〇条)こととなつた。
2右の規則改訂が計画規模を年超過確率一〇〇分の一(二日雨量四二五ミリメートル)とする川内川水系工事実施基本計画(新基本計画)に基づきなされたこと、右の洪水調節容量の増加は電源開発がダム使用権を一部放棄したことにより実現され、その補償として合計二七億二〇〇〇万円が三年間に分割して支払われたこと、以上の事実は先に述べたとおりである。
3<証拠>によれば、新規則において、満水位は標高160.0メートル(六条)で従前と変らず、洪水期間における制限水位は、六月一一日から七月二〇日までの期間においては標高133.0メートル、七月二一日から八月二〇日までの期間においては標高135.0メートル、八月二一日から八月三一日までの期間においては標高138.0メートル、九月一日から九月三〇日までの期間においては標高149.0メートル、一〇月一日から一〇月一五日までの期間においては標高157.0メートル(七条)、予備放流水位は、六月一一日から八月三一日までの期間においては標高131.4メートル、九月一日から九月三〇日までの期間においては標高144.5メートル(九条)とそれぞれ定められていることが認められる。
二 洪水調節容量に関する世論等
1<証拠>によれば、次の(一)ないし(九)の各事実が認められる。
(一) 昭和四六年八月一六日付南日本新聞の「目」欄において、桑原記者は、同年八月六日の洪水の際、川内市における川内川の水位が7.02メートルにまで達したことに関連し、流域平均雨量(二日雨量を指すと思われる。)を三三五ミリメートルとしていることは昭和四四年の集中豪雨以降、時代遅れになつている旨指摘し、川内川工事事務所でも「ダム建設、河積の拡大、防潮堤建設の計画にさらに本腰を入れるとのこと」と記し、「川内川の抜本的治水策を皆が本気で考え直す時期に来ているのは間違いない」と結んでいる。
(二) 昭和四六年八月一九日付南日本新聞の「よろん」欄に、宮之城町に居住する松崎仁は、同年七月二三日の豪雨および台風一九号(前述した同年八月六日洪水の時のものと思われる。)による洪水被害のため、鶴田ダム下流のある商店が店仕舞をしたことに同情を示し、「ダムの平常貯水量をもつと減らしていたらと思えてならない」と投稿をした。
(三) 昭和四六年八月二九日付南日本新聞は、同月二五、二六両日、川内市長らが上京して同年七、八月の水害に関し、関係各省に陳情したこと、その際、建設省は、「鶴田ダムの第一制限水位146.5メートルを洪水前後には発電最低水位一三〇メートルまで減水、調節能力をまして欲しいとの要望には『規定の改正でやれる』」と回答した旨報道した。
(四) 昭和四六年九月一日、衆議院災害対策特別委員会において有馬元治代議士は前記台風一九号による洪水に関連し、「今回のようないわば計画水量ぎりぎりの段階になりますと、洪水の危険が多分にあるわけでございますから、その時点においてはこの第一制限水位の制限をもつと緩和して、水位を百三十メートルまで下げられないものかどうか、その点について、まず建設大臣の御意見を承りたいと思います」と質疑した。
これに対し西村英一建設大臣は、「鶴田ダムは、川内川でも非常に流域の狭い一部分しかやつていないので、このダムだけではとても受け切れないわけです。今回もう少し水位を下げたらとかなんとかいうようなことは言つておりますが、このダムだけでは、とても川内川のそういう危険な状態をどうこうするということはできないわけです。したがいまして建設省といたしましては、さらに下流のほうき非常にたくさんな支流がありまして、それに中小河川がたいへん流れ込んでおるのでございまするから、根本的には、もつと下流のほうでやつぱりダムを建設していかなければならぬ、こういうふうに考えておる次第でございます」と答弁した。
引き続き、川崎第一建設省河川局長は、台風一九号による洪水について鶴田ダムに若干の余力が残つていたことを理由に、制限水位の変更よりは下流右支川の夜星川、左支川の穴川のダム計画を立てていきたい旨答弁した。
右質疑応答の概要は、昭和四六年九月二日付南日本新聞において報道された。
(五) 昭和四六年九月一〇日付南日本新聞の「郷土をたくましく」の欄に、前記松崎仁は、「流域に大雨が降ると予測された場合、事前放流によつてダムの貯水容量を大きくしておくことだ。それによつて発電に支障をきたし、損害を与えたとしても、住民の生命、財産の安全にはかえられぬのではないか」との意見を寄せた。
(六) 昭和四六年一〇月九日付南日本新聞は、同年同月八日、建設省において川内川流域一二市町村の首長、議長の参加する川内川治水対策会議が開催されたこと、席上、第二鶴田ダムの設置が要望されたのに対し、建設省の藤尾政務次官が、「川内川の改修は昭和六年の計画のまま進めてきたが、現在の流量予測が間違つていた点を認める。安全だとしていたものが今回の洪水で安全でないことを証明したようなものだ。この対策として①まず第二のダムを中流に造り川全体の調節能力をもたせる②荒れている河床の整備を急ぐ③洪水時に潮が逆流しないよう防潮堤を造る」と確約した旨報道した。
(七) 昭和四七年六月二五日付南日本新聞の「よろん」欄に、前記松崎仁は、「せめて六、七、八月の増水期だけでも、第一制限水位の146.5メートルを、発電最低水位の一三〇メートルに下げていただきたい。この規定改正によつて、川内川下流の水位が一メートル下がるというから、ぜひ規定を改正し、ダムに対する不信感を除いてほしい」と投稿した。
(八) 昭和四七年七月一日付南日本新聞は、同年六月三〇日、横山川内市長および同市の全市議会議員が建設省に、①災害の早期復旧、②河川改修工事の単年度化、③内水排除施設の新設、④住宅移転の助成措置、⑤洪水調節ダム建設など一七項目の陳情をなしたこと、同省各課長は「中州、寄り州の除去と内水排除施設は本年度中に実現する。鶴田ダムの制限水位引き下げを早急に検討する」と答え、他の項目も早急な検討を約束した旨報道した。
(九) 昭和四七年七月三日付南日本新聞は、「問われる効力 鶴田ダム」と題する宮之城支局下笠記者による署名記事を掲載した。同記者は、同年六月一八日の洪水により浸水のあつた宮之城町川原地区住民が、鶴田ダムは満水になつてから一度に放流する、ダムがなければ自然の流量により水位が上がらない筈との声を挙げていること、これに対し、山田時彦鶴田ダム管理所所長は「ダムで上流からの流入量をかットせず、そのまま流していたら、それこそ大災害を招くだろう」とダムの有効性を主張したことを伝えた。
続いて同記者は、流域住民が発電容量三五五〇万トンを洪水時に洪水調節容量に充てることを要望していること、しかし、電源開発が同ダムの建設費一三六億円のうち五二パーセントを負担し、同ダムにより年間発電量三億七〇〇〇万キロワット時を予定していること、従つて、制限水位を規則で下げるとなれば、「防災ダムを大きく、発電ダムをその分だけ小さく改造することを意味し、ダム資産の補償が大きな問題として浮び上がつて来る」こと、一トンの水を一時間放流すると、第一発電所だけで三五〇〇円、第二発電所を含めると四一〇〇円を失う計算であるといわれること、第一発電所の取水量は最大一五〇トンであるが、晴天時のダム流入量は二〇トン以下であること(いずれも秒あたりの数値と解される。)を指摘し、「水が日本経済にとつて貴重な資源であることは否定できない」と問題点を浮び上がらせた。
同記者は、右記事の末尾において、「〔同年六月〕十八日の集中豪雨では記録的な降雨量に対し、排水路の不備が指摘されている。宮之城町本町商店街の浸水は川内川本流より土砂くずれで排水路上流にたまつていた水がいつぺんに流れ出した結果とわかつた。また、紫尾山系では国有林乱伐による出水が指摘されている。川内川流域の浸水を鶴田ダムと単純に結びつけることはできない。むしろ、巨大なダムも自然の猛威の前にはいかに小さい存在であるかを証明したのが、集中豪雨だつたといえる。これをきつかけに治山治水を根本的に考え直す必要がありそうだ」と結んでいる。
2鶴田ダム管理所が第一五回多目的ダム管理所長会議資料「鶴田ダムの緊急操作について」と題する書面(甲第一六号証)において、昭和四六年の二洪水における洪水調節の実状を明らかにし、同年八月六日の洪水における調節を自ら「神業」と評したこと、また毎秒一〇〇〇立方メートルの放流量でも被害を受ける地区のあることを指摘したことは当事者間に争いがない。
三 治水計画上の問題点
1原告らは、鶴田ダム建設当時、年超過確率八〇分の一の二日降雨量が三三五ミリメートルとされた点につき、その基礎資料が信頼性に乏しい旨主張するので、この点につき判断する。
<証拠>によれば、次の(一)ないし(三)の各事実が認められる。
(一) 被告は、それまで既住の最大洪水量を目安として河川改修計画を策定し、工事を進めてきたが、昭和三〇年ころから改めて川内川の計画高水流量の検討を始め、明治三六年ころから昭和三二年ころまでの間の気象台、内務省等の観測所の雨量観測資料を可能な限り集めて、検討を加えた。もつとも明治時代においては観測地点の数が少なかつたため、流域平均最大二日雨量の算出等に役立つたものは、別紙11表のとおり、昭和七年以降の資料であつた。
(二) 同表のとおり、流域は五分類され、いわゆるティーセン法により、流域面積に応じて流域平均最大二日雨量が算出された。これを別紙20図のとおり、縦軸に正規分布の目盛をとり、横軸に二日雨量の対数目盛をとり、各年の全流域平均最大二日雨量をプロットすると、年超過確率八〇分の一の二日降雨量は三三五ミリメートルと読み取れる。もとより右の数値は理論上のもので、全流域平均最大二日雨量として右数値を超える規模の降雨は右推算の当時(昭和三四年)、存在しなかつた。このように洪水の主因である降雨に着目して一定の年超過確率を求めて計画降雨を定め、これに基づき洪水流量波形を計算し、そこから基本高水を定める手法は、当時から現在まで合理的なものとして全国的に採用されているものであり、川内川の年超過確率八〇分の一も、全国的水準からみてバランスのとれたものであつた。
(三) ところが、右推算の後、実績二日雨量として、全流域平均値が、
(1) 昭和四四年六月、371.8ミリメートル、
(2) 昭和四六年七月、218.8ミリメートル、
(3) 昭和四六年八月、424.5ミリメートル、
(4) 昭和四七年六月、300.2ミリメートル、
(5) 昭和四七年七月、273.2ミリメートル
と前記数値を上回つたり、これに迫る降雨が相次いだため、被告は川内川治水計画の再検討を余議なくされた。前述の川内川治水計画技術委員会作成に係る川内川治水計画検討報告書(昭和四九年八月)によれば、全流域平均二日雨量の年超過確率の数値は、八〇分の一が四二〇ミリメートル、一〇〇分の一が四二五ミリメートル、一五〇分の一が四五〇ミリメートルと推算された。
右のとおり、川内川全流域平均二日雨量の年超過確率八〇分の一の数値が、昭和三四年に三三五ミリメートルとされていたのが、その後の降雨資料をも確率計算の基礎資料に加えた結果、昭和四九年において四二〇ミリメートルとされるに至つたことは事実であるが、それであるからといつて、遡つて昭和三四年当時の確率計算が非科学的であるとか、信頼性に乏しいということにはならない。本件災害の発生した昭和四七年七月における川内川全流域の平均二日最大雨量は、前述したとおり、273.2ミリメートルであつて、昭和三四年当時の年超過確率八〇分の一の数値である三三五ミリメートルを下回つているのであり、この点からしても、原告らの右主張は理由がない。
2原告らは、被告が鶴田ダム建設当時、鶴田ダムへの流入量とその十数キロメートル上流の下殿地点での流量を等しく扱い、その間の残流域の降雨流量を加算しなかつた誤りがある旨主張するので、この点につき判断する。
<証拠>によれば、次の(一)ないし(三)の各事実が認められる。
(一) 下殿地点での流域面積は七〇五平方キロメートルであり、鶴田ダム地点でのそれは八〇五平方キロメートル(右後者の数値は当事者間に争いがない。)であるから、その間に一〇〇平方キロメートルの残流域が存在する。
(二) 鶴田ダム建設当時、基本高水のピーク流量は下殿において毎秒三一〇〇立方メートル、川内において毎秒四一〇〇立方メートル、川内において毎秒四一〇〇立方メートルとされ、洪水調節のモデルとしては昭和二九年八月洪水と昭和三二年七月洪水の両降雨パターンが用いられた(以上の事実は当事者間に争いがない。)。右降雨パターンによると、昭和二九年八月洪水型のダムへのピーク流入量は毎秒二八〇〇立方メートル、昭和三二年七月洪水型のそれは毎秒三〇九三立方メートルと推算された。
(三) 実績によるピーク流量(水位換算流量)は、昭和二九年八月洪水の場合、下殿地点で毎秒一五六〇立方メートル(推算ピーク流量毎秒一三三〇立方メートル。貯留関数法による。以下同様)、昭和三二年七月洪水の場合、下殿地点で毎秒一二七〇立方メートル(推算ピーク流量毎秒一五九〇立方メートル)、昭和四七年七月洪水(本件洪水)の場合、下殿地点で毎秒二〇五〇立方メートル(推算ピーク流量毎秒一六九〇立方メートル)、鶴田ダム地点で毎秒二二六〇立方メートル(推算ピーク流量毎秒二一七〇立方メートル)であつた。
右事実によれば、鶴田ダム建設当時、基本高水のピーク流量を下殿地点とダム地点とで同一の毎秒三一〇〇立方メートルと定めたことにつき、本件災害に影響を及ぼすような支障があつたとは認められず、他にこの点を認めるに足りる証拠はない。
四 洪水調節容量改訂の要否
1まず原告らが、鶴田ダム下流域の水位との関係から同ダムの放流量を毎秒一四〇〇立方メートル、または毎秒一一〇〇立方メートルに留めるべきであると主張している点につき判断する。
<証拠>によれば、次の(一)ないし(九)の各事実が認められる。
(一) 鶴田町柏原地区(およそ41.2ないし42.6キロメートル地点)の最低地盤高は標高二八メートル前後、41.9キロメートル地点における水位零点高は標高25.7メートル、宮之城町湯田地区(およそ42.8ないし43.6キロメートル地点)の最低地盤高は標高32.9メートル前後(上流平均地盤高は標高35.1メートル、下流平均地盤高は標高34.5メートル、下流平均地盤高は標高34.5メートル)、同町屋地川原地区(およそ37.7ないし38.4キロメートル地点)の最低地盤高は標高24.5メートル前後(上流平均地盤高は標高27.1メートル、中流平均地盤高は標高27.4メートル、下流平均地盤高は標高26.7メートル)、37.9キロメートル地点における水位零点高は標高一九メートルである。
(二) 昭和四四年六月三〇日洪水において、鶴田ダムは同日午前二時から午前六時までの間および同年七月一日午前二時から午前四時までの間の二回、ピーク放流量毎秒一〇八九立方メートル(右数値は当事者間に争いがない。)に達した。湯田地区における川内川の水位は、同年六月三〇日午前七時の5.58メートルが最高であり、同日正午過ぎに五メートル台を割つた後、同年七月一日午前二時から午前七時の間に再び五メートルをわずかに上回つた(別紙14図参照)。
(三) 昭和四六年七月二三日洪水において、鶴田ダムは同日午後一〇時から翌二四日午前二時までの間、ピーク放流量毎秒一二〇六立方メートル(右数値は当事者間に争いがない。)に達した。湯田地区における川内川の水位は二三日午後八時と午後一一時の二回、6.50メートルの最高位に達し、同日午後八時から翌二四日午前一時までの間、六メートル台にあつた(別紙15図参照)。
同地区において二三日午後六時ころから水位が上昇し、浸水家屋が続出したことは前述のとおりである。
(四) 同年八月六日洪水において、鶴田ダムは同日午前三時と午前四時の間、ピーク放流量毎秒一四〇〇立方メートル(右数値は当事者間に争いがない。)に達した。湯田地区における川内川の水位は同日午前四時に6.06メートルの最高位に達し、午前三時から午前五時の間、六メートル台にあつた(別紙16図参照)。
(五) 昭和四七年六月一八日洪水において、鶴田ダムは同日午前三時に毎秒八六〇立方メートル、午前四時にピークの毎秒一一〇〇立方メートル(右数値は当事者間に争いがない。)を放流したが、湯田地区における川内川の水位は同日午前三時に6.10メートル、午前四時に最高位の6.72メートルに達した(別紙17図参照)。
(六) 昭和四七年六月二七日洪水において、鶴田ダムは同日午後四時から翌二八日午前二時までピークの毎秒九〇〇立方メートルを一定量放流した。湯田地区における川内川の水位は二七日午後五時の4.56メートルが最高位であつた(別紙18図参照)。
(七) 同年七月六日洪水(本件洪水)において、鶴田ダムが同日午後二時にピーク放流量毎秒二二六〇立方メートルに達したことは前述したとおりである。湯田地区における川内川の水位は同日午前九時前に六メートル台にのり、同日正午および午後一時に6.90メートルを記録し、その後、テレメーター水位計は浸水のため測定が不能となつた(別紙19図参照)。
湯田地区に近い41.9キロメートル地点(零点高は標高25.7メートル)の本件洪水痕跡は標高34.8メートル(従つて、ピーク水位は9.1メートルと推認される。)、屋地川原地区の37.9キロメートル地点(零点高は標高一九メートル)の本件洪水痕跡は標高28.7メートル(従つて、ピーク水位は9.7メートルと推認される。)にあつた。
なお宮之城町役場職員の観測によれば、同日午前八時現在(ダム放流量は毎秒一三五〇立方メートルであつた。)、宮都大橋付近の水位は5.3メートル、虎居橋付近の水位は五メートル、屋地川原地区の水位は道路まで一メートル、湯田地区での水位は道路上であつた。
(八) 川内川は鶴田ダム地点から湯田地区を経、屋地川原地区に至るまでの間、順次、浦川(流域面積13.2平方キロメートル)、前川(流域面積28.0平方キロメートル)、柳野川(流域面積14.0平方キロメートル)、夜星川(流域面積49.8平方キロメートル)、穴川(流域面積99.4平方キロメートル)の各支流と合流していく。なお、鶴田ダムと第二ダム間の流域面積は8.0平方キロメートル、前川合流点から湯田間の残流域は14.8平方キロメートルである。
(九) 鹿児島県薩摩郡宮之城町鶴田ダム被災者同盟連絡協議会が昭和四八年六月七日付で作成した「川内川鶴田ダム放流による被災者への補償に関する陳情書」(甲第一三号証)には、「川内川中流域は一、〇〇〇m3/秒〜一、四〇〇m3/秒の放水量に依つても支川の出水如何では被害を受ける」との記載がある。
以上の事実関係および先に認定した川内川の地勢、降雨分布の特性(別紙16よ1ないし3、別紙9表の1ないし3に見られるとおり、隣接の観測地点間で時間雨量に大幅な違いが見られる。)を総合すれば、鶴田ダム下流域の水位とダム立流量との間には一元的な函数関係はなく、更にダム下流の残流域および支川流域での雨量と流量が大きく影響を及ぼすものであること、例えば、昭和四六年八月六日洪水におけるダムのピーク放流量は毎秒一四〇〇立方メートル、湯田地区におけるピーク水位は6.06メートルであつたが、これに対し、昭和四七年六月一八日洪水におけるダムのピーク放流量は毎秒一一〇〇立方メートル、湯田地区におけるピーク水位は6.72メートルを記録していること、地区最低地盤高と水位零点高との差は柏原地区の41.9キロメートル地点において2.3メートル、屋地川原地区の37.9キロメートル地点において5.5メートルであること(他の地点における水位零点高は明らかでない。)、本件洪水の際、湯田地区の道路が冠水した時点において、約五キロメートル下流の屋地川原地区では水位が道路まで一メートルと観測されたこと、従つて湯田地区における、いわゆる安全水位は屋地川原地区のそれより低かつたことが認められる。そうすると、鶴田ダムからの放流量を毎秒一四〇〇立方メートルと定めることは洪水の危険性が高く概して不相当であり、毎秒一〇〇〇ないし一一〇〇立方メートルと定めるとしても、降雨状況、その他の条件如何によつては下流域に洪水の被害が生ずる可能性があると見るのが相当である(なお、いわゆる「九〇〇トン方式」の適否については後に検討することとする)。
2次に原告らが、鶴田ダムの洪水調節容量を本件洪水までに七七〇〇万ないし七七五〇万立方メートル、洪水期の制限水位を標高130.0メートルとしなかつたこと、または洪水調節容量を七五〇〇万立方メートルなどとしたダム操作規則の改訂を本件洪水までにしなかつたことは同ダムの管理に瑕疵があつたと主張する点につき判断する。
鶴田ダムが年超過確率八〇分の一、全流域平均最大二日雨量三三五ミリメートルの治水計画規模を前提に洪水調節容量を四二〇〇万立方メートルと定めて建設されたものであること、その当時、右の全流域平均最大二日雨量の数値を超える同雨量は観測されていなかつたが、昭和四四年六月に371.8ミリメートル、昭和四六年八月に424.5ミリメートルと三三五ミリメートルをはるかに上回る二日雨量が観測され、同年一〇月八日、建設政務次官が「現在の流量予測が間違つていた点を認める」と発言したこと、本件洪水時における全流域平均二日雨量は273.2ミリメートルであつて、前記の昭和四六年八月、昭和四四年六月の各降雨時のそれを下回るが、同ダムへの最大流入量毎秒二二六〇立方メートルはそれまでの最大数値を示し、これがため本件洪水前においては、「神業」と評されたことのある昭和四六年八月の洪水調節を含め、洪水調節の実績を挙げてきたものの、本件洪水時においては右最大流入量に等しい最大放流量を記録して事実上、洪水調節機能を失つたこと、昭和四六年八月以降、同ダムの洪水調節容量の増加を望む沿岸住民らの世論が現われ始め、同年九月一日には衆議院災害対策特別委員会でこの点に関する質疑応答がなされたこと、本件洪水後の昭和四八年六月九日、鶴田ダム操作規則の改訂により洪水調節容量が最大七五〇〇万立方メートルまで増加されたこと、これに伴い電源開発のダム使用権放棄に対する補償金として合計二七億二〇〇〇万円が三年間に分割して支払われたこと、以上の事実は先に詳しく述べたとおりである。
また<証拠>によれば、鶴田ダムの建設に関する基本計画において、治水分妥当投資額を四九億四四〇〇万円と算出するに当たり、ダムがない場合に下流に生ずる年平均被害額を五億四〇〇三万三〇〇〇円、ダムによる年平均被害減少額を三億〇八九七万二〇〇〇円と見積つたこと(即ち、同ダムの建設により下流の洪水を根絶することが図られた訳ではない。)、本件洪水直後、川内川の全流域平均最大雨量を四二五ミリメートルとする治水基本計画の実施には約一〇〇〇億円(昭和四七年当時)を要するものと試算されたこと、昭和三五年度から昭和四七年度までの間の全国、九州、川内川、球磨川における治水関係事業費の推移は別紙7表記載のとおりであり、これによれば、昭和四七年度の全国における治水関係事業費は一七一四億一四〇〇万円、そのうち川内川における同事業費は本件洪水による緊急支出を含め三〇億七四〇〇万円であること、全国の河川の治水工事を概成するのに昭和四七年において約三六兆円の予算を要すると見積られたこと、ダムの洪水調節機能には一定の限界があり、下流の改修が伴わないと所期の効果を発揮し得ないもので、旧基本計画における鶴田ダムの建設も河川改修計画の一環に過ぎず、同ダムの計画流量は本件洪水における最大放流量毎秒二二六〇立方メートルを僅かに上回る毎秒二三〇〇立方メートルであり、本件洪水の川内地点における貯量関数法による推算ピーク流量(氾濫がない場合)は毎秒三五五〇立方メートルで計画高水流量毎秒三五〇〇立方メートルを若干上回るに過ぎないものであつたが、中流部が未改修であつたために本件洪水の発生を防止し得なかつたこと、ダムの洪水調節容量の増加による効果はそれほど大きくなく、下流の洪水を根絶するものではないこと、以上の各事実が認められる。
思うに河川の洪水調節を目的とするダム(多目的ダムを含む。)の洪水調節容量に関し、設置または管理の瑕疵、換言すれば、通常有すべき安全性の欠如の有無を判断するにあたつては、単に洪水調節機能を結果的に失つたこと、またはその虞れがあつたことのみを基準とすべきでなく、当該河川の特性、河川全流域の自然的・社会的条件、関連費用(ダム使用権の収用に対する損失補償等を含む。)の経済性等あらゆる観点から総合的に判断して、河川管理上、洪水調節容量の増加(ダムの新設、またはダム使用権の収用等による)が必要不可欠であることが明らかであり、これを放置することが我が国における河川管理の一般的水準および社会通念に照らして河川管理者の怠慢であることが明白であるといえるような事情があつか否かを基準とすべきであると解するのが相当である(最高裁判所昭和四九年(オ)第七〇八号、同五三年三月三〇日第一小法廷判決・民集三二巻二号三七九頁、同裁判所昭和五三年(オ)第四九二号、第四九三号、第四九四号、同五九年一月二六日同小法廷判決・民集未登載参照)。
これを本件についてみるに、先に認定したとおり逐年川内川の河川改修工事は進捗していたが、中流部が未改修であつたため未だ旧基本計画の所期の治水効果が発揮できない状態にあつたこと、昭和四四年六月以降、予想を上回る規模の降雨が数回出現して洪水になり、鶴田ダムの洪水調節機能の強化が公に議論されるに至つたのは本件洪水前一年にも満たない昭和四六年の八、九月以降のことであること、右機能の強化にはダム使用権の収用に対する補償の措置が必要であり、また他方、代替案として下流に別個のダム建設が考えられていたこと、本件洪水は同ダムへの秒当たりの流入量がこれまでの最大値を示したこと、その他前述した川内川の地勢、降雨特性、流域内の人口、生産額等(別紙6表記載のとおり)、治水関係事業費等の制約、ダムの洪水調節機能の限界等の諸事情を総合判断すれば、本件洪水前に洪水調節容量を原告ら主張のとおり増加させることが必要不可欠であることが明らかであつたとか、これを放置することが我が国における河川管理の一般的水準および社会通念に照らして河川管理者の怠慢であることが明白であつたとは認められない。従つて本件洪水時に鶴田ダムの洪水調節容量が四二〇〇万立方メートルのままであつたことをもつてダムの設置または管理に瑕疵があつたとは認められない。
なお、本件洪水時における鶴田ダムへのピーク流入量毎秒二二六〇立方メートルが当時の計画高水流量毎秒三一〇〇立方メートルを下回つていることは原告らの主張するとおりである。しかし、計画高水流量を中核とする旧基本計画は、先に述べたとおり、その河川改修計画全体が完成して始めて所期の効果が発揮できるものであるところ、右改修工事は、基本的には被告が、昭和六年に策定した計画に従つて継続的に治水関係事業費の一般的水準からみて相応な多額の費用を投じて進めてきたにも拘わらず、成立に争いない甲第一九号証の一四によれば、本件洪水当時、幹線流路一三七キロメートルのうち四七パーセントが工事完成を見たに過ぎず、本件洪水が発生した中流部は未改修であつたことが認められ、右基本計画全体を達成するにはさらに長年月と莫大な費用を要するのであるから、その達成が河川管理者の行政目標に留まらず、法的義務であると解するとしても、計画高水流量以下の流水による災害の発生のみをもつて直ちに国家賠償法二条にいう「河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつた」ことを法律上または事実上、推定させるものとは解し得ない。
3原告らは、別紙2表のとおり、本件洪水時に鶴田ダムの制限水位を標高一三〇メートルとし、昭和四七年七月五日午前一〇時から同月七日午前一時までの間、終始、毎秒一一〇〇立方メートルを放流すれば、本件災害を免れることができた旨主張するが、その計算方式およびその結果が正しいと仮定しても、調節時期や調節量に現実性を欠き、また一種の結果論に過ぎないから採用の限りでない。
また原告らは昭和五四年六月二八日洪水は本件洪水と同規模であるのに、ダム操作規則の改訂により洪水被害を免れたと主張するが、仮にそうであるとしてもこれも一種の結果論に過ぎないのみならず、<証拠>によれば、鶴田ダムの洪水調節容量の増加にもかかわらず、右洪水における宮之城でのピーク水位は7.18メートルに達したこと、右洪水による被害は別紙12表記載のとおりであり、宮之城町において床上浸水一〇戸、床下浸水三七戸、川内市において床上浸水一七戸、床下浸水一五一戸などの被害が発生したこと、同町湯田地区においては昭和四七年の本件洪水後、護岸工事、築堤が概成されたことが認められるのであつて、ダムの洪水調節容量の観点から右洪水と本件洪水とを単純に比較することはできないというべきである。
第七 その余の瑕疵に関する主張について
一 洪水調節と発電との関連管理の欠如の主張について
1電源開発が鶴田ダムに第一発電所を設置・管理し、同ダム下流4.2キロメートルの地点に第二ダムおよび第二発電所を設置・管理していること、本件洪水当時、電源開発が鶴田ダムにおいて最低水位の標高130.0メートルと制限水位の標高146.5メートルとの間で自由に取水することができたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
2原告らは、被告による鶴田ダムの管理と電源開発による右の管理との間に不統一があり、関連管理が欠けていたため、本件災害が発生した旨主張するので、この点につき判断する。
<証拠>によれば、鶴田ダム管理所と第一発電所との間には直通の有線電話があり、相互に放流量の変化を連絡し合つていること、鶴田ダムの洪水調節は右発電所からの放流量をも加えてなされているものであること、第二発電所は平常、第一発電所からの遠方制御で運転されているが、洪水時にゲート操作をする場合、第一発電所からの有線電話による指示に基づいて土木職社員が行なつていること、以上の事実が認められる。
本件災害が洪水調節と発電利用との間の関連管理が欠如したため発生したとの原告らの主張には理解し難い面があるが(なお、原告らは電源開発が物権としてのダム使用権を有することを認めている。)、右の認定事実に照らし、被告にこの点について管理の瑕疵があつたとは認め難い。
二 洪水調節方式の欠陥の主張について
1鶴田ダムの洪水調節に関し、旧規則一五条が別紙7のとおり定めていたこと、被告が昭和四七年六月一八日の洪水後、旧規則一五条但書の操作基準として、洪水調節容量の二分の一程度まで毎秒九〇〇立方メートルの一定量放流とする方式(九〇〇トン方式)を採用し、同方式を本件洪水に適用したこと、本件洪水当時、川内川では、水位局が鶴田ダム上流の鈴之瀬、花北、吉松、同ダム下流の湯田、司野の合計五か所、雨量局が鶴田、山神、青木、栗野岳、万年青平の合計五か所に設置されていたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
2鶴田ダムからの放流量を毎秒一〇〇〇ないし一一〇〇立方メートルとした場合、降雨状況、その他の条件如何によつては下流域に被害が生ずることがあり得ること、昭和四六年八月の洪水において鶴田ダム管理所が川内市での氾濫を防止するため、九州地方建設局長からの緊急操作の指令に基づき、毎秒八〇〇立方メートルの一定量放流をなしたこと、以上の事実は先に認定したとおりである。
3<証拠>によれば、昭和四七年六月一八日の洪水において、鶴田ダム管理所が、宮之城町での家屋浸水の増大を防止するため、旧規則一五条但書の適用により九〇〇トンないし九三〇トンの一定量放流をなしたこと、その直後、九州地方建設局河川部と鶴田ダム管理所は既住の洪水調節を再検討した結果、同条本文を適用してダム操作を行なえば、未改修の中流部に被害が生ずることとなるので、これを防止するため、洪水調節容量の二分の一程度まで毎秒九〇〇立方メートルの一定量放流とする旨協議し、同局局長の承認を得たこと、本件洪水において、鶴田ダムへの流入量はピークを三回迎えるという、これまでにない波形を示しており、その第一波(七月五日午後一〇時ころ)および第二波(七月六日午前八時ころ)に対して九〇〇トン方式は効果があつたが、最大流入量毎秒二二六〇立方メートル(右数値は当事者間に争いがない。)というこれまでにないピークの第三波を迎え、流入量に等しい量の放流を見るに至つたものであること、以上の事実が認められる。
4原告らは、いわゆる九〇〇トン方式が流入量如何によつては洪水調節容量を食い潰し、以後の時点で計画放流量に従つた放流をなし得ず、これを上回る放流を余儀なくさせるという欠陥を蔵していると主張する。
先に認定した事実によれば、いわゆる九〇〇トン方式は中流部の未改修状況に照らして採用されたものであり、同方式には合理性があつたのであるが、本件洪水時においてはこれまでにない波形および規模の流水により洪水調節機能を事実上失つたものと見るのが相当であるから、原告らの右主張は採用できない。
5原告らは、本件洪水時に鶴田ダムにおいて旧規則一五条本文による操作を放流量が毎秒一四〇〇立方メートルに達するまで行ない、その後は毎秒一四〇〇トンの一定量放流に留めれば浸水被害は発生しなかつた旨主張し、また少なくとも同条本文による操作に終始していれば、最大放流量は毎秒一七二九立方メートルとなるから、原告らのうち低位置にあるものが床下浸水を見る程度に留まる旨主張する。
原告らの右主張は結果論に過ぎないと見られるし、また、旧規則一五条本文による操作に終始した場合、未改修の川内川中流部に被害が生ずることとなるので、同条但書により、いわゆる九〇〇トン方式が採用されたこと、本件洪水の際、鶴田ダムが毎秒一三五〇立方メートルを放流していた昭和四七年七月六日午前八時の時点において、同ダム下流の湯田地区では道路が冠水し、屋地川原地区では水位が道路まで一メートルに迫つていたこと、以上の事実は先に認定したとおりである。従つて原告らの右主張に理由のないことは明らかである。
6原告らは、昭和五四年六月二八日の洪水において、洪水調節容量が増加されており、いわゆる九〇〇トン方式が適用されなかつたため、屋地川原地区において家屋三棟の床上浸水があつたに留まつた旨主張するので、この点につき判断する。
右洪水時、湯田地区の護岸工事、築堤が概成されていたこと、右洪水により宮之城町において床上浸水一〇戸、床下浸水三七戸などの被害があつたことは先に認定したとおりである。また、右洪水時における鶴田ダムの流入量および放流量が、それぞれ別紙3表の(1)欄および(4)欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。
同表と先に認定した本件洪水時における鶴田ダムの流入量および放流量とを対比すれば、少なくとも両者は洪水継続時間や洪水波形が異なることが認められ、本件洪水後に湯田地区の治水工事が概成した事実および洪水調節容量の改訂を併せ考えると、昭和五四年六月における洪水調節の成果から、いわゆる九〇〇トン方式の欠陥を導き出すことはできない。
7原告らは、本件洪水当時、水位局および雨量局が少なかつたため、ダムへの流入量の予測や下流の状況の把握が困難で、放流量は勘に頼ることになる。本件災害の一因である九〇〇トン方式の継続はこのような全体としてのダム管理体制の瑕疵に起因する旨主張するが、いわゆる九〇〇トン方式に合理性があつたことは先に述べたとおりである。
また、<証拠>によれば、鶴田ダム管理所においては前記のロボットテレメーター水位局、同雨量局のほか、菱刈、五女木、針持、飯野、満谷、西ノ野、抑野、十曽、大住の各雨量観測所(ただし、いずれも同ダムの上流にある)、および宮之城町虎居の臨時水位観測所との間に電話連絡体制があり、また鹿児島地方気象台、宮之城気象通報所、川内川工事事務所を通じて雨量、その他の気象情報を入手していたこと、本件洪水時においては主としてロボットテレメーターおよび水位観測人を通じ、湯田地区の水位状況を把握し、洪水調節に努めたこと、現在の科学水準では未だ、「いつ」、「どこで」、「何ミリメートル」といつた豪雨予測の予報則は確立されていないこと(なお、気象情報の内容が漠然としたものであることは前述したとおりである。)、昭和四九年一〇月一日から地域気象観測網(AMeDAS)が整備されたが、同観測網は平均一七キロメートルの格子間隔であり、この網の目にかからない集中豪雨もあり得るとされていること、以上の事実が認められる。
右の事実に照らし、本件洪水当時、水位局および雨量局の不足といわゆる九〇〇トン方式の継続、ひいては本件災害の発生との間に何らかの関連があつたとは考えられない。
三 所長の不在と洪水対策の欠如の主張について
1昭和四七年七月五日午後六時ころ、鶴田ダムへの流入量が毎秒一五六〇立方メートルであつたこと、山田時彦鶴田ダム管理所所長がそのころ一時、鶴田ダムを不在にしていたこと、本件洪水時における同ダムの放流量が別紙1表(四)欄記載のとおりであつたことは当事者間に争いがない。
また、同日午後三時ころ、鹿児島地方気象台が大雨洪水警報を発した事実は被告において明らかに争わないので、これを自白したものとみなされる。
2<証拠>によれば、山田所長は同日午後六時ころから薩摩郡樋脇町市比野に赴き、建設省の渡辺技監と会い、同一〇時過ぎころ鶴田ダム管理所に戻つたこと、その間、同ダム管理係長の江藤啓治が所長の職務を代行したが、山田所長と江藤係長の間では同日午後八時ころと同九時四〇分ころの二回、貯水位および流入量の変動状況につき連絡をとりあつていたこと、同日正午から同日午後一〇時までの間、同ダムではいわゆる九〇〇トン方式により毎秒九〇〇立方メートルの一定量放流をしていたが、同一一時に放流量を毎秒九五〇立方メートルとし、その後、放流量を更に増加させていつたこと(右事実は当事者間に争いがない。)、これは先に認定したとおり、同一〇時ころまでに洪水調節容量の約半分を使用したためであること、以上の事実が認められる。
右の事実によれば、鶴田ダムが所長不在の間、洪水対策を欠いていた旨の原告らの主張は理由がない。
四 通知・警報の懈怠の主張について
1次の(一)、(二)の事実およぴ法律関係は当事者間に争いがない。
(一) 多目的ダムによつて貯留された流水を放流する場合の通知等については、ダム法三二条に、「建設大臣又は多目的ダムを管理する都道府県知事は、多目的ダムによつて貯留された流水を放流することによつて流水の状況に著しい変化を生ずると認める場合において、これによつて生ずる危害を防止するため必要があると認めるときは、政令で定めるところにより、あらかじめ、関係都道府県知事、関係市町村町及び関係警察署長に通知するとともに、一般に周知させるため必要な措置をとらなければならない。」と定められ、同法施行令一八条に「建設大臣又は多目的ダムを管理する都道府県知事は、多目的ダムによつて貯留された流水の放流に関し、法第三十二条の規定により関係都道府県知事、関係市町村長及び関係警察署長に通知しようとするときは、流水を放流する日時のほか放流量又は放流により上昇する下流の水位の見込を示して行い、一般に周知させようとするときは、建設省令で定めるところにより、立札による掲示を行うほか、サイレン、警鐘、拡声機等により警告しなければならない。」と通知等の方法について定めている。
鶴田ダムの放流に関する通知等は右各規定に基づき、旧規則二四条(別紙7記載のとおり)および旧細則九条ないし一二条(別紙8記載のとおり)により行なつていた。
(二) 具体的には、第一発電所長、第二発電所長、鶴田町長、宮之城町長、宮之城警察署長、宮之城土木事務所長、東郷町長、樋脇町長、川内市長、川内警察署長および川内川工事事務所長に対して専用電話(無線および有線)、あるいは加入電話により行なわれ、一般に対する周知は警報所(ダム管理所、神子、柏原、宮之城、川口、順枕、倉野、司野、東郷)および警報車のサイレン吹鳴並びに拡声機放送により警報することになつている。
2<証拠>によれば、次の(一)ないし(三)の各事実が認められる。
(一) 鶴田ダムは昭和四七年六月二七日洪水に伴う放流を同年同月二八日午後六時三〇分に停止したのも束の間、翌二九日午前九時〇〇分に流入量の増加により放流を再開することとなつた。右放流継続中に本件洪水が発生し、同ダムにおいて放流を停止するに至つたのは先に認定したとおり、同年七月九日午後一〇時〇〇分のことであつた。
(二) 同年六月二九日午前九時〇〇分の放流再開に先立ち、鶴田ダム管理所は同日午前七時一九分から同五〇分までの間に所定の関係機関に対し放流開始を通知し、放流量および水位の見込みを連絡した。同様に所定のサイレン吹鳴、その他の警報手段もとられた。翌三〇日午後七時二三分から同三九分までの間には所定の関係機関に対する放流増加見込みの連絡がなされ、同年七月五日午前六時三七分から同七時〇三分までの間には同様に洪水調節の通知がなされた(そのころ右通知がなされた事実は当事者間に争いがない。)。その後も随時、鶴田ダム管理所と鶴田町、宮之城町の各災害対策本部等との間で放流量等に関する連絡がとられ、翌六日午前一一時四〇分から同日午後二時までの間、右の連絡は二〇分毎にとられていた。
(三) 宮之城町災害対策本部では同日午前七時、町内の浸水地区に二ないし五名の職員を配置し、水位等の通報に当たらせた。そのころ同本部では湯田地区住民に避難準備を指示し、川原、虎居地区に警戒広報をなした。同本部は同日午前八時四〇分に湯田地区、同日正午に川原、虎居地区に対し、いずれも避難命令を発した。
右の事実によれば、放流開始の通知が、旧細則一一条一号どおりの「約二時間前」にはなされていないが、これが右通知の一時間後に発生した本件災害に寄与したとは到底解されず、また被告に通知義務の懈怠があつたと見ることはできない。
3原告らは被告の通知、警報義務の法的根拠として河川法四八条を援用するが、同法はダム法に対して一般法と特別法の関係にあるから、ダム法三二条の規定が優先するものである。
ダム法三二条は、通知等の要件として、「多目的ダムによつて貯留された流水を放流することによつて流水の状況に著しい変化を生ずると認める場合において、これによつて生ずる危害を防止するため必要があると認めるとき」と定めており、その趣旨は放流開始など下流水位の急激な上昇による河川利用者、沿岸住民の危害を防止することにあると解される。従つて一般に周知させるためのサイレン吹鳴および拡声機放送による警告が放流の際に限られるとの被告の見解は採用できない。しかしながら、本件洪水に際しては、前記の認定事実から水防法二二条に基づく立退の指示等が広く、かつ適切になされたと推認でき、被告のその後のサイレン吹鳴等による警告の不実施を違法であると解しても、これと原告らの損害との間に相当因果関係は認められない。
第八 結論
以上のとおり、鶴田ダムの管理に瑕疵があつたとの原告らの主張は、その主張事実が国家賠償法一、二条のいずれの要件に該当するとしても、すべて失当であり、原告らの請求は、その余の争点につき判断するまでもなく理由がないから、これをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条・九三条を適用のうえ、主文のとおり判決する。
(猪瀬俊雄 太田幸夫 天野登喜治)
(別紙6) 請求額一覧表
単位:円
番号
原告
請求総額(K)
弁護士費用
以外の額(1)
弁護士費用額(1)
A1
日高末善
3,898,000
2
日高初江
3,248,000
3
福永イセ
1,560,000
4
楠元ツ子
5,407,000
B1
(合資)宮之城印刷所
26,921,850
24,481,850
2,440,000
2
内山勇
2,620,120
2,390,120
230,000
3
坊野実好
19,456,481
17,696,481
1,760,000
4
竹添正徳
7,383,120
6,713,120
670,000
5
(有)久木留商店
6,838,000
6,218,000
620,000
6
久木留忠雄
7,115,300
6,475,300
640,000
7
児島正
2,604,500
2,374,500
230,000
C1
小牧伊勢吉
4,974,117
4,524,117
450,000
2
小牧醸造(合資)
21,659,600
19,699,600
1,960,000
3
橋本ミツエ
480,645
440,645
40,000
4
紺屋市太郎
465,025
425,025
40,000
5
谷口直矢
1,902,210
1,732,210
170,000
6
白石エミ
685,390
625,390
60,000
7
中山敦夫
909,050
829,050
80,000
8
上野純春
1,920,300
1,750,300
170,000
9
佛渕明
1,528,206
1,398,206
130,000
10
野添實
416,305
386,305
30,000
11
白男川文男
1,018,000
928,000
90,000
12
鍋田高義
3,797,890
3,457,890
340,000
13
柿野テル
426,530
396,530
30,000
14
宮本熊次郎
794,500
724,500
70,000
15
鬼塚三武
2,846,500
2,596,500
250,000
16
指宿スズ子
3,207,222
2,917,222
290,000
17
北野利修
425,110
395,110
30,000
18
平出チヨ
2,108,930
1,918,930
190,000
19
宮本芳夫
829,095
759,095
70,000
20
渕上則次
379,455
349,455
30,000
21
出畑研之充
8,702,120
7,912,120
790,000
22
岩元仲介
6,465,500
5,885,500
580,000
23
藤崎純照
589,700
539,700
50,000
24
藤出新一
618,410
568,410
50,000
25
北田高義
1,848,650
1,688,650
160,000
26
出畑シツ
531,080
491,080
40,000
27
岩元忠義
8,040,850
7,310,850
730,000
28
迫田フルエ
2,113,665
1,923,665
190,000
29
迫田清光
2,279,370
2,079,370
200,000
30
井上〓平
3,602,462
3,282,462
320,000
31
山口親治
13,169,700
11,979,700
1,190,000
32
前田仁
1,572,570
1,432,570
140,000
33
大久保キサ
887,600
807,600
80,000
34
奥山健一
4,987,650
4,537,650
450,000
35
舟倉政春
20,666,950
18,796,950
1,870,000
36
小池和男
5,856,405
5,326,405
530,000
37
平田恵光
895,080
815,080
80,000
38
西屋文和
905,200
825,200
80,000
39
平田林蔵
934,300
854,300
80,000
40
丸田光治
2,220,190
2,020,190
200,000
41
房内昇
1,703,625
1,553,625
150,000
42
大迫昭蔵
2,818,100
2,568,100
250,000
43
肥後則夫
1,002,490
912,490
90,000
44
長住隆子
2,057,723
1,877,723
180,000
45
小牧信子
2,656,960
2,416,960
240,000
46
山下博
2,124,330
1,934,330
190,000
47
木場普仁
1,038,807
948,807
90,000
48
小田栄次郎
723,340
663,340
60,000
49
南田光夫
2,030,015
1,850,015
180,000
50
内山正徳
867,540
797,540
70,000
51
北田保雄
957,708
877,708
80,000
52
谷口基彦
1,495,800
1,365,800
130,000
53
國田輝志
2,128,900
1,938,900
190,000
54
吉村昭二
2,794,450
2,544,450
250,000
55
関幾郎
2,730,000
2,490,000
240,000
56
榊東吉
1,823,900
1,663,900
160,000
57
(有)宮之城石油商会
5,882,299
5,352,299
530,000
58
満尾キクエ
1,329,215
1,209,215
120,000
59
湯田幸子
3,798,000
3,455,000
340,000
60
畦地重好
514,250
474,250
40,000
61
神國サヲ
483,500
443,500
40,000
62
宮脇正男
1,278,895
1,168,895
110,000
63
堀之内修二
692,430
632,430
60,000
64
堀之内俊一
1,840,950
1,680,950
160,000
65
花峰重盛
1,127,110
1,027,110
100,000
66
西川岩井
995,120
905,120
90,000
67
新屋彦一郎
1,413,310
1,293,310
120,000
68
肝付良子
1,177,351
1,077,351
100,000
69
新川シナ
387,540
357,540
30,000
70
田中貞夫
424,500
394,500
30,000
71
北田幸雄
1,005,900
915,900
90,000
72
神國守人
1,077,070
987,070
90,000
73
村原信男
463,320
423,320
40,000
74
柳シツ
850,430
780,430
70,000
75
朝隈三郎
621,243
571,243
50,000
76
市耒新太郎
3,328,109
3,028,109
300,000
77
甫立正行
526,900
486,900
40,000
78
荻誠二
559,890
509,890
50,000
79
荻ミツ
479,650
439,650
40,000
80
紙屋清治
1,220,600
1,110,600
110,000
81
時吉明
918,950
838,950
80,000
82
左近允富雄
957,120
877,120
80,000
83
左近允タエ
523,650
483,650
40,000
84
谷山和惠
671,250
611,250
60,000
85
四枝トミ子
940,185
860,185
80,000
86
小玉フミ
1,615,962
1,475,962
140,000
87
四枝スニ
848,950
778,950
70,000
88
中西ノイ
1,105,820
1,005,820
100,000
89
富澤満郎
1,218,950
1,108,950
110,000
90
中原武徳
1,050,835
960,835
90,000
91
松ケ野博己
716,020
656,020
60,000
D1
久保薗純男
2,986,700
2,814,000
172,700
2
長崎孝一
1,788,690
1,667,800
120,890
3
指宿鉄郎
2,247,500
2,110,000
137,500
4
溝口一弘
6,644,860
6,303,200
341,660
5.1
黑岡美智子
469,531
442,966
26,565
5.2
山之口隆次
469,531
442,966
26,565
5.3
糸日谷京子
469,531
442,966
26,565
5.4
山之口壽子
939,063
885,933
53,130
5.5
山之口光二
469,531
442,966
26,565
6
迫田春高
4,967,800
4,706,000
261,800
7
草野幸人
1,967,110
1,848,200
118,910
8
井上ツルエ
806,610
748,200
58,410
9.1
外山尊之
802,824
759,833
42,991
9.2
岩元とよ子
802,824
759,833
42,991
9.3
外山辰男
802,824
759,833
42,991
10
天瀬集
13,560,100
12,712,000
848,100
11
生駒泰幸
4,610,090
4,385,800
224,290
12
生駒登
3,897,455
3,707,100
190,355
13
片山辰長
5,084,907
4,814,198
270,709
14
(有)旅館玉之湯
14,389,453
13,704,241
685,212
15
室屋恒富
2,891,085
2,747,700
143,385
16
幾留長雄
2,761,193
2,623,994
137,199
17
井上清
3,874,024
3,683,833
190,191
18
米川優
3,495,450
3,309,000
186,450
19
室屋光二
5,193,000
4,940,000
253,000
20
軸屋昭人
10,847,020
10,292,400
554,620
E1
大平重義
5,465,000
4,975,000
490,000
(別紙7)鶴田ダム操作規則(旧規則)抜萃
(洪水調節)
第15条 所長は、次の各号に定めるところにより、洪水調節を行なわなければならない。ただし、所長は、気象、水象、その他の状況により特に必要と認める場合においては、次の各号に定めるところによらないことができる。
一 流入量が最大に達するまでは、毎秒{(流入量−600)×0.68+600}立方メートルの流水を放流すること。
二 流入量が最大に達した後は、毎秒{(最大流入量−600)×0.68+600}立方メートルの流水を流入量が当該量に等しくなるまで放流すること。
三 流入量が最大に達する以前に第1号の規定により算出された放流量が毎秒2,300立方メートルに達した後は、流入量が毎秒2,300立方メートルになるまで毎秒2,300立方メートルの流水を放流すること。
(放流に関する通知等)
第24条 九州地方建設局長(以下「局長」という。)は、特定多目的ダム法第32条の規定により通知すべき関係市町村長及び関係警察署長、並びにその通知の方法を、あらかじめ、定めておかなければならない。
(別紙9) 被害額明細
単位:円
番号
被害者
不動産(a)
動産(b)
復旧費(c)
逸失利益(d)
慰籍料(e)
小計(f)
見舞金(g)
差引(h)
備考
A1
日高末善
650,00
3,248,000
3,898,000
3,898,000
(b)は共有動産の価額の半額宛を計上。ルノアールの原画1枚(100万円相当)を含む。
2
日高初江
3,248,000
3,248,000
3,248,000
3
福永イセ
1,060,000
500,000
1,560,000
1,560,000
(a)は立本(6万円相当)を含む。
4
亡楠元トキ
2,000,000
3,400,000
7,000
5,407,000
5,407,000
B1
合資 宮之城印刷所
21,477,500
506,000
2,498,350
24,481,850
24,481,850
2
内山勇
864,200
1,145,000
500,920
2,510,120
120,000
2,390,120
3
坊野実好
11,041,474
2,209,400
2,673,200
1,892,407
17,816,481
120,000
17,696,481
(d)は47年9月ないし12月の休業損害および48年ないし51年の営業損失
4
竹添正徳
4,350,000
1,679,200
610,000
100,000
973,920
7,713,120
1,000,000
6,713,120
(d)は2か月間の休業損害
5
有 久木留商店
3,380,000
2,000,000
838,000
6,218,000
6,218,000
(d)は5か月間の休業損害および付随雑損
6
久木留忠雄
1,200,000
3,573,000
950,000
872,300
6,595,300
120,000
6,475,300
7
児島正
1,284,000
711,000
499,500
2,494,500
120,000
2,374,500
C1
小牧伊勢吉
1,431,950
2,517,248
694,919
4,644,117
120,000
4,524,117
2
小牧醸造 合資
17,636,000
2,063,600
19,699,600
19,699,600
3
橋本ミツエ
218,450
18,500
323,695
560,645
120,000
440,645
4
紺屋市太郎
181,750
41,000
322,275
545,025
120,000
425,025
5
谷ロ直矢
450,000
495,100
466,000
441,110
1,852,210
120,000
1,732,210
6
白石エミ
331,800
73,100
340,490
745,390
120,000
625,390
7
中山敦夫
535,500
353,550
889,050
60,000
829,050
8
上野純春
1,363,000
10,000
437,300
1,810,300
60,000
1,750,300
9
佛渕明
953,960
153,500
410,746
1,518,206
120,000
1,398,206
10
野添實
152,550
35,000
318,755
506,305
120,000
386,305
11
白男川文男
547,000
133,000
368,000
1,048,000
120,000
928,000
12
鍋田高義
350,000
1,339,900
1,190,000
100,000
597,990
3,577,890
120,000
3,457,890
(d)は2か月間の休業損害
13
亡柿野良行
142,300
314,230
456,530
60,000
396,530
14
宮本熊次郎
405,000
90,000
349,500
844,500
120,000
724,500
15
亡鬼塚武次
2,115,000
700,000
581,500
3,396,500
800,000
2,596,500
16
指宿スズ子
1,500,000
1,235,150
296,416
75,000
610,656
3,717,222
800,000
2,917,222
(d)は65日間の休業損害
17
北野利修
432,100
3,000
15,000
345,010
795,110
400,000
395,110
(d)は3日間の休業損害
18
平田チヨ
1,570,000
316,800
39,500
492,630
2,418,930
500,000
1,918,930
19
宮本芳夫
221,400
185,050
120,000
352,645
879,095
120,000
759,095
(d)は3か月間の休業損害
20
渕上則次
64,050
90,000
315,405
469,455
120,000
349,455
21
田畑研之充
2,200,000
4,687,200
142,000
1,002,920
8,032,120
120,000
7,912,120
22
岩元仲介
4,372,500
1,432,500
880,500
6,685,500
800,000
5,885,500
23
藤崎純照
137,500
34,500
155,000
332,700
659,700
120,000
539,700
(d)は1か月間の休業損害
24
亡藤田篤
273,100
30,000
50,000
335,310
688,410
120,000
568,410
(d)は5日間の休業損害2人分
25
北田高義
1,166,100
135,400
70,000
437,150
1,808,650
120,000
1,688,650
(d)は20日間の休業損害
26
亡田畑正義
233,300
15,000
34,500
328,280
611,080
120,000
491,080
(d)は10日間の休業損害
27
岩元忠義
4,000,000
2,860,500
513,000
1,037,350
8,410,850
1,100,000
7,310,850
28
迫田フルエ
1,277,850
307,300
458,515
2,043,665
120,000
1,923,665
29
迫田清光
1,489,200
237,500
472,670
2,199,370
120,000
2,079,370
30
亡井上繁
2,529,720
290,700
582,042
3,402,462
120,000
3,282,462
31
山口親治
10,527,000
200,000
1,372,700
12,099,700
120,000
11,979,700
32
前田仁
690,900
447,800
413,870
1,552,570
120,000
1,432,570
33
大久保キサ
470,000
16,000
30,000
351,600
867,600
60,000
807,600
(d)は30日間の休業損害
34
奥山健一
3,961,500
696,150
4,657,650
120,000
4,537,650
35
舟倉政春
16,924,500
1,992,450
18,916,950
120,000
18,796,950
36
小池和男
3,095,050
83,500
1,500,000
767,855
5,446,405
120,000
5,326,405
(d)は3か月間の休業損害
37
平田恵光
122,800
400,000
352,280
875,080
60,000
815,080
38
西屋文和
462,000
70,000
353,200
885,200
60,000
825,200
39
平田林藏
533,000
80,000
361,300
974,300
120,000
854,300
40
亡丸田進
1,401,700
241,200
30,000
467,290
2,140,190
120,000
2,020,190
(d)は3か日間の休業損害
41
房内昇
936,490
226,260
86,000
424,875
1,673,625
120,000
1,553,625
(d)は20日間の休業損害
42
大迫昭藏
2,096,000
75,000
517,100
2,688,100
120,000
2,568,100
43
肥後則夫
364,400
221,500
80,000
366,590
1,032,490
120,000
912,490
(d)は20日間の休業損害
44
亡関スヤ
657,335
854,700
31,350
454,338
1,997,723
120,000
1,877,723
(d)は30日間の休業損害
45
小牧信子
808,600
1,225,000
503,360
2,536,960
120,000
2,416,960
46
山下博
1,420,100
120,200
454,030
1,994,330
60,000
1,934,330
47
木場普仁
513,670
88,700
42,000
364,437
1,008,807
60,000
948,807
(d)は14日間の休業損害
48
小田栄次郎
364,400
45,000
30,000
343,940
783,340
120,000
663,340
(d)は15日間の休業損害
49
南田光夫
1,195,650
138,000
130,000
446,365
1,910,015
60,000
1,850,015
(d)は1か月間の休業損害
50
内山正徳
476,200
53,200
32,000
356,140
917,540
120,000
797,540
(d)は10日間の休業損害
51
北田保雄
527,180
75,100
32,000
368,428
997,708
120,000
877,708
(d)は16日間の休業損害
52
谷口基彦
998,000
80,000
407,800
1,485,800
120,000
1,365,800
53
國田輝志
949,000
50,000
600,000
459,900
2,058,900
120,000
1,938,900
(d)は2か月間の休業損害
54
吉村昭二
1,716,000
273,500
160,000
514,950
2,664,450
120,000
2,544,450
(d)は1か月間の休業損害
55
関幾郎
1,890,000
210,000
510,000
2,610,000
120,000
2,490,000
56
榊東吉
996,000
253,000
100,000
434,900
1,783,900
120,000
1,663,900
(d)は20日間の休業損害
57
有 宮之城石油商会
3,299,540
1,402,550
770,209
5,472,299
120,000
5,352,299
58
亡満尾等
579,650
306,000
50,000
393,565
1,329,215
120,000
1,209,215
(d)は20日間の休業損害
59
湯田幸子
1,230,000
1,750,000
598,000
3,578,000
120,000
3,458,000
60
畦地重好
143,000
124,500
326,750
594,250
120,000
474,250
61
神國サヲ
85,000
100,000
318,500
503,500
60,000
443,500
62
宮脇正男
600,000
167,450
5,000
72,000
384,445
1,228,895
60,000
1,168,895
(d)は10か月間の家賃収入喪失
63
堀之内修二
396,000
15,300
341,130
752,430
120,000
632,430
64
亡堀之内吉之進
120,000
1,244,500
436,450
1,800,950
120,000
1,680,950
65
花峰重盛
250,000
423,600
96,500
377,010
1,147,110
120,000
1,027,110
66
亡西川汀
294,200
365,000
365,920
1,025,120
120,000
905,120
67
新屋彦一郎
574,000
438,100
401,210
1,413,310
120,000
1,293,310
68
肝付良子
671,774
144,000
381,577
1,197,351
120,000
1,077,351
69
新川シナ
131,400
30,000
316,140
477,540
120,000
357,540
70
田中貞夫
185,000
10,000
319,500
514,500
120,000
394,500
71
北田幸雄
427,000
127,000
115,000
366,900
1,035,900
120,000
915,900
(d)は23日間の休業損害
72
神國守人
638,700
95,000
373,370
1,107,070
120,000
987,070
73
亡村原ワサ
191,200
30,000
322,120
543,320
120,000
423,320
74
柳シツ
431,300
60,000
349,130
840,430
60,000
780,430
75
朝隈三郎
263,630
17,500
20,000
330,113
631,243
60,000
571,243
(d)は4日間の休業損害
76
市耒新太郎
1,989,190
600,000
558,919
3,148,109
120,000
3,028,109
77
甫立正行
242,500
36,500
327,900
606,900
120,000
486,900
78
荻誠二
237,500
40,400
22,000
329,990
629,890
120,000
509,890
(d)は10日間の休業損害
79
荻ミツ
181,500
318,150
499,650
60,000
439,650
80
紙屋清治
600,000
106,000
140,000
384,600
1,230,600
120,000
1,110,600
81
時吉明
527,500
17,000
354,450
898,950
60,000
838,950
82
左近允富雄
215,100
364,100
357,920
937,120
60,000
877,120
83
左近允タエ
158,000
43,300
20,200
322,150
543,650
60,000
483,650
(a)は立本を含む
84
亡谷山久藏
326,500
11,000
333,750
671,250
60,000
611,250
85
亡四枝輝
518,350
100,000
361,835
980,185
120,000
860,185
86
小玉フミ
783,050
217,398
177,700
417,814
1,595,962
120,000
1,475,962
(d)は2か月間の休業損害
87
四枝スニ
374,500
170,000
354,450
898,950
120,000
778,950
88
中西ノイ
601,900
81,300
13,000
369,620
1,065,820
60,000
1,005,820
(d)は10日間の休業損害
89
亡富澤宗熊
464,500
300,000
80,000
384,450
1,228,950
120,000
1,108,950
(d)は40日間の休業損害
90
中原武徳
549,850
60,000
100,000
370,985
1,080,835
120,000
960,835
(d)は2か月間の休業損害
91
松ケ野博己
361,900
16,300
337,820
716,020
60,000
656,020
D1
久保薗純男
3,140,000
314,000
3,454,000
640,000
2,814,000
2
長崎孝一
2,198,000
219,800
2,417,800
750,000
1,667,800
3
指宿鉄郎
2,500,000
250,000
2,750,000
640,000
2,110,000
4
溝口一弘
4,712,000
1,500,000
621,200
6,833,200
530,000
6,303,200
(d)は15か月間の休業損害
5
亡山之口重
2,898,000
289,800
3,187,800
530,000
2,657,800
6
迫田春高
4,760,000
476,000
5,236,000
530,000
4,706,000
7
草野幸人
2,162,000
216,200
2,378,200
530,000
1,848,200
8
井上ツルエ
1,062,000
106,200
1,168,200
420,000
748,200
9
亡外山富美
2,345,000
234,500
2,579,500
300,000
2,279,500
10
天瀬集
2,400,000
2,220,000
10,800,000
1,542,000
16,962,000
4,250,000
12,712,000
(d)は3年間の休業損害
11
生駒泰幸
1,973,000
1,525,000
450,000
130,000
407,800
4,485,800
100,000
4,385,800
(d)は2年間の作付不能による損害
12
生駒登
823,000
2,638,000
346,100
3,807,100
100,000
3,707,100
13
片山辰長
1,000,000
2,778,000
1,143,999
492,199
5,414,198
600,000
4,814,198
(d)は11か月間の休業損害
14
有 旅館玉之湯
400,000
9,521,900
2,536,501
1,245,840
13,704,241
13,704,241
(d)は11か月間の休業損害
15
室屋恒富
895,000
1,662,000
50,000
260,700
2,867,700
120,000
2,747,700
16
幾留辰雄
823,540
1,671,000
249,454
2,743,994
120,000
2,623,994
17
井上清
950,030
2,258,000
250,000
345,803
3,803,833
120,000
3,683,833
(d)は3か月間の休業損害
18
米川優
3,390,000
339,000
3,729,000
420,000
3,309,000
19
室屋光二
560,000
3,640,000
100,000
300,000
460,000
5,060,000
120,000
4,940,000
(d)のうち5万円は2年間の農業損害、うち25万円は5か月間土地改良区書記の休業損害
20
軸屋昭人
7,850,000
2,285,000
705,000
1,084,000
11,924,000
800,000
11,124,000
(d)のうち555,000円は3年間の農業損害、うち15万円は50日間農作業に従事できなかった休業損害
E1
大平重義
4,250,000
725,000
4,975,000
4,975,000
(a)は杉900本,檜100本の流失による損害
(別紙12) 鶴田ダム諸元
河川名
川内川水系川内川
位置
鹿児島県薩摩郡鶴田町神子
流域面積
805km2
ダム
型式
動力式コンクリートダム
堤高
117.5m
堤長
450m
上流面勾配
1:0.07
下流面勾配
1:0.79
堤頂路面幅員
5.5m
堤体積
1,119,000m2
堤体標高
EL162.5m
基礎岩盤標高
45.0m
貯水池
湛水面積
3.61km2
総貯水容量
123,000,000m3
有効貯水量
77,500,000m3
堆砂量
25,000,000m3
常時満水位
EL160.00m
洪水調節水深
13.50m
計画高水流量
3,100m3/sec
調節量
800m3/sec
放流量
2,300m3/sec
洪水調節容量
第一期(6.11~8.31 EL146.50m)
42,000,000m3
第二期(9.1~9.30 EL154.00m)
20,000,000m3
第三期(10.1~10.15EL157.00m)
10,000,000m3
発電利用容量
77,500,000m3
発電利用水深
30m
(別紙14) ダム使用権一覧表
Ⅰ 昭和42年4月12日設定当時
1 最高水位
6月11日~8月31日
EL 146.5m
9月1日~9月30日
EL 154.0m
10月1日~10月15日
EL 157.0m
その他の期間
EL 160.0m
2 最低水位
EL 130.0m
3 量
6月11日~8月31日
35,500,000m3以内
9月1日~9月30日
57,500,000m3以内
10月1日~10月15日
67,500,000m3以内
その他の期間
77,500,000m3以内
Ⅱ 昭和48年6月9日変更によるもの
1 最高水位
6月11日~7月20日
EL 133.0m
7月21日~8月20日
EL 135.0m
8月21日~8月31日
EL 138.0m
9月1日~9月30日
EL 149.0m
10月1日~10月15日
EL 157.0m
その他の期間
EL 160.0m
2 最低水位
EL 130.0m
3 量
6月11日~7月20日
5,500,000m3以内
7月21日~8月20日
9,500,000m3以内
8月21日~8月31日
15,500,000m3以内
9月1日~9月30日
42,500,000m3以内
10月1日~10月15日
67,500,000m3以内
その他の期間
77,500,000m3以内
(別紙15) 洪水調節実績表
番号
洪水生起年月日
最大流入量
(m3/S)
最大放流量
(m3/S)
洪水調節による低減量
(m3/S)
(1)
昭和44年6月29日~7月2日
1,323
1,089
234
(2)
昭和46年7月23日、24日
1,492
1,206
286
(3)
昭和46年8月5日、6日
1,858
1,400
458
(4)
昭和47年6月18日、19日
1,925
1,100
825
(5)
昭和47年6月27日、28日
1,577
900
677
(6)
昭和47年7月5日、6日
2,260
2,260
0
1 表
鶴田ダムの流入量、放流量、貯留量についての表
(但し昭和47年7月5日7時より7月6日15時までの分)
(単位:トン)
(一)
(二)
(三)
(四)
(五)
(六)
(七)
(八)
日時
区別
流入秒
トン
流入秒
平均トン
流入時間
平均トン
放流秒
トン
放流秒
平均トン
放流時間
平均トン
時間
貯留量
総貯留量
47.7.5
7
600
600
81,000,000
8
710
655,0
2,358,000
617
608,5
2,190,600
167,400
81,167,400
9
851
780,5
2,809,800
723
670,0
2,412,000
397,800
81,565,200
10
1,022
936,5
3,371,400
836
779,5
2,806,200
565,200
82,130,400
11
1,110
1,066,0
3,837,600
900
868,0
3,124,800
712,800
82,843,200
12
1,152
1,132,0
4,075,200
〃
900,0
3,240,000
835,200
83,678,400
13
1,176
1,165,0
4,194,000
〃
〃
〃
954,000
84,632,400
14
1,198
1,187,0
4,273,200
〃
〃
〃
1,033,200
85,165,600
15
1,255
1,226,5
4,415,400
〃
〃
〃
1,175,400
86,841,000
16
1,330
1,292,5
4,653,000
〃
〃
〃
1,413,600
88,254,000
17
1,416
1,373,0
4,942,800
〃
〃
〃
1,702,800
89,956,800
18
1,560
1,488,0
5,356,800
〃
〃
〃
2,116,800
92,073,600
19
1,680
1,620,0
5,832,000
〃
〃
〃
2,592,000
94,665,600
20
1,740
1,713,0
6,166,800
〃
〃
〃
2,926,800
97,592,400
21
1,764
1,755,0
6,318,000
〃
〃
〃
3,078,000
100,670,400
22
1,780
1,772,0
6,379,200
〃
〃
〃
3,139,200
103,809,600
23
1,750
1,765,0
6,354,000
750
925,0
3,330,000
3,024,000
106,833,600
24
1,740
1,748,0
6,292,800
1,000
975,0
3,510,000
2,782,800
109,616,400
47.7.6
1
1,718
1,732,0
6,235,200
〃
1.000,0
3,600,000
2,635,200
112,251,600
2
1,680
1,699,0
6,116,400
1,030
1,015,0
3,654,000
2,462,400
114,714,000
3
1,640
1,660,0
5,976,000
〃
1,030,0
3,708,000
2,268,000
116,982,000
4
1,612
1,626,0
5,853,600
〃
〃
〃
2,145,600
119,127,600
5
1,614
1,563,0
5,626,800
1,090
1,060,0
3,816,000
1,810,800
120,938,400
6
1,654
1,634,0
5,882,400
1,200
1,145,0
4,122,000
1,760,400
122,698,800
7
1,732
1,693,0
6,094,800
1,300
1,250,0
4,500,000
1,594,800
124,293,600
8
1,814
1,773,0
6,382,800
1,350
1,325,0
4,770,000
1,612,800
125,906,400
9
1,709
1,761,5
6,341,400
1,540
1,445,0
5,202,000
1,139,400
127,045,800
10
1,590
1,649,5
5,938,200
〃
1,540,0
5,544,000
394,200
127,440,000
11
1,640
1,615,0
5,814,000
1,580
1,560,0
5,616,000
198,000
127,638,000
12
1,765
1,702,5
6,129,000
1,680
1,6300
5,868,000
261,000
127,899,000
13
1,990
1,877,5
6,759,000
1,900
1,790,0
6,444,000
315,000
128,214,000
14
2,260
2,125,0
7,650,000
2,260
2,080,0
7,488,000
162,000
128,376,000
15
2,153
2,206,5
7,943,400
2,180
2,220,0
7,992,000
△48,600
128,327,400
合計
176,373,000
129,045,600
47,327,400
128,327,400
2 表
鶴田ダムの制限水位を130mにしたときの放流可能量数
(但し昭和47年7月5日10時から7月7日1時までの分)
(単位:トン)
(一)
(二)
(三)
(四)
(五)
(六)
(七)
(八)
日時
区別
流入秒
トン
流入秒
平均トン
流入時間
平均トン
放流秒
トン
放流秒
平均トン
放流時間
平均トン
時間
貯留量
総貯
留量
47.7.5
10
1,022
1,022
45,500,000
11
1,110
1,066
3,837,600
1,100
1,100
3,960,000
△122,400
45,377,600
12
1,152
1,132
4,075,200
〃
〃
〃
115,200
45,492,800
13
1,176
1,165
4,194,000
〃
〃
〃
234,000
45,726,800
14
1,198
1,187
4,273,200
〃
〃
〃
313,200
46,040,000
15
1,255
1,226,5
4,415,400
〃
〃
〃
455,400
46,495,400
16
1,330
1,292,5
4,653,000
〃
〃
〃
693,000
47,188,400
17
1,416
1,373
4,942,800
〃
〃
〃
982,800
48,171,200
18
1,560
1,488
5,356,800
〃
〃
〃
1,396,800
49,568,000
19
1,680
1,620
5,832,000
〃
〃
〃
1,872,000
51,440,000
20
1,740
1,713
6,166,800
〃
〃
〃
2,206,800
53,646,800
21
1,764
1,755
6,318,000
〃
〃
〃
2,358,000
56,004,800
22
1,780
1,772
6,379,200
〃
〃
〃
2,419,200
58,424,000
23
1,750
1,765
6,354,000
〃
〃
〃
2,394,000
60,818,000
24
1,740
1,748
6,292,800
〃
〃
〃
2,332,800
63,150,800
47.7.6
1
1,718
1,732
6,235,200
〃
〃
〃
2,275,200
65,426,000
2
1,680
1,699
6,116,400
〃
〃
〃
2,156,400
67,582,400
3
1,640
1,660
5,976,000
〃
〃
〃
2,016,000
69,598,400
4
1,612
1,626
5,853,600
〃
〃
〃
1,893,600
71,492,000
5
1,614
1,563
5,626,800
〃
〃
〃
1,666,800
73,158,800
6
1,654
1,634
5,882,400
〃
〃
〃
1,922,400
75,081,200
7
1,732
1,693
6,094,800
〃
〃
〃
2,134,800
77,216,000
8
1,814
1,773
6,382,800
〃
〃
〃
2,422,800
79,638,800
9
1,709
1,761,5
6,341,400
〃
〃
〃
2,381,400
82,020,200
10
1,590
1,649,5
5,938,200
〃
〃
〃
1,978,200
83,998,400
11
1,640
1,615
5,814,000
〃
〃
〃
1,854,000
85,852,400
12
1,765
1,702,5
6,129,000
〃
〃
〃
2,169,000
88,021,400
13
1,990
1,877,5
6,759,000
〃
〃
〃
2,799,000
90,820,400
14
2,260
2,125
7,650,000
〃
〃
〃
3,690,000
94,510,400
15
2,153
2,206,5
7,943,400
〃
〃
〃
3,983,400
98,493,800
16
1,920
2,036,5
7,331,400
〃
〃
〃
3,371,400
101,865,200
17
1,810
1,865
6,714,000
〃
〃
〃
2,754,000
104,617,200
18
1,684
1,747
6,289,200
〃
〃
〃
2,329,200
106,948,400
19
1,556
1,620
5,832,000
〃
〃
〃
1,872,000
108,820,400
20
1,450
1,503
5,410,800
〃
〃
〃
1,450,800
110,271,200
21
1,380
1,415
5,094,000
〃
〃
〃
1,134,000
111,405,200
22
1,253
1,316,5
4,739,400
〃
〃
〃
779,400
112,184,600
23
1,193
1,223
4,402,800
〃
〃
〃
442,800
112,627,400
24
1,137
1,165
4,194,000
〃
〃
〃
234,000
112,861,400
47.7.7
1
1,076
1,106,5
3,983,400
〃
〃
〃
23,400
112,884,800
合計
221,824,800
154,440,000
67,384,800
4 表
1表の流入量を改正前の操作規則第15条本文により操作した場合の放流量・貯留量の表
(但し昭和47年7月5日7時より7月7日1時までの分)
(単位:トン)
(一)
(二)
(三)
(四)
(五)
(六)
(七)
(八)
日時
区別
流入秒トン
流入秒
平均トン
流入時間
平均トン
放流秒
トン
放流秒
平均トン
放流時間
平均トン
時間
貯留量
総貯
留量
47.7.5
7
600
600
81,000,000
8
710
655,0
2,358,000
675
637,5
2,295,000
63,000
81,063,000
9
851
780,5
2,809,800
771
723,0
2,602,800
207,000
81,270,000
10
1,022
936,5
3,371,400
881
829,0
2,984,400
387,000
81,657,000
11
1,110
1,066,0
3,837,600
967
927,0
3,337,200
500,400
82,157,400
12
1,154
1,132,0
4,075,200
977
972,0
3,499,200
576,000
82,733,400
13
1,176
1,165,0
4,194,000
992
985,0
3,546,000
648,000
83,381,400
14
1,198
1,187,0
4,273,200
1,007
999,5
3,598,200
675,000
84,056,400
15
1,255
1,226,5
4,415,400
1,045
1,026,0
3,693,600
721,800
84,778,200
16
1,330
1,292,5
4,653,000
1,096
1,070,5
3,853,800
799,200
85,577,400
17
1,416
1,373,0
4,942,800
1,155
1,125,5
4,051,800
891,000
86,468,400
18
1,560
1,488,0
5,356,800
1,253
1,204,0
4,334,400
1,022,400
87,490,800
19
1,680
1,620,0
5,832,000
1,334
1,293,5
4,656,600
1,175,400
88,666,200
20
1,740
1,713,0
6,166,800
1,379
1,356,5
4,883,400
1,283,400
89,949,600
21
1,764
1,755,0
6,318,000
1,392
1,385,5
4,987,800
1,330,200
91,279,800
22
1,780
1,772,0
6,379,200
1,402
1,397,0
5,029,200
1,350,000
92,629,800
23
1,750
1,765,0
6,354,000
〃
〃
〃
1,324,800
93,954,600
24
1,746
1,748,0
6,292,800
〃
〃
〃
1,263,600
95,218,200
47.7.6
1
1,718
1,732,0
6,235,200
〃
〃
〃
1,206,000
96,424,200
2
1,680
1,6990
6,116,400
〃
〃
〃
1,087,200
97,511,400
3
1,640
1,660,0
5,976,000
〃
〃
〃
946,800
98,458,200
4
1,612
1,626,0
5,853,600
〃
〃
〃
824,400
99,282,600
5
1,614
1,563,0
5,626,800
〃
〃
〃
597,600
99,880,200
6
1,654
1,634,0
5,882,400
〃
〃
〃
853,200
100,733,400
7
1,732
1,693,0
6,094,800
(1,370)
〃
〃
1,065,600
101,799,000
8
1,814
1,773,0
6,382,800
1,426
1,398
5,032,800
1,350,000
103,149,000
9
1,709
1,761,5
6,341,400
〃
〃
〃
1,308,600
104,457,600
10
1,590
1,649,5
5,938,200
〃
〃
〃
905,400
105,363,000
11
1,640
1,615,0
5,814,000
〃
〃
〃
781,200
106,144,200
12
1,765
1,702,5
6,129,000
(1,392)
〃
〃
1,096,200
107,240,400
13
1,990
1,887,5
6,759,000
1,545
1,468,5
5,286,600
1,472,400
108,712,800
14
2,260
2,125,0
7,650,000
1,729
1,637,0
5,893,200
1,756,800
110,469,600
15
2,153
2,206,5
7,943,400
〃
1,729,0
6,224,400
1,719,000
112,188,600
16
1,920
2,036
7,329,600
〃
1,729
〃
1,105,200
113,293,800
17
1,810
1,865
6,714,000
〃
〃
〃
489,600
113,783,400
18
1,684
1,747
6,289,200
1,700
1,714
6,170,400
118,800
113,902,200
19
1,556
1,620
5,832,000
1,600
1,650
5,940,000
△108,000
113,794,200
20
1,450
1,503
5,410,800
1,500
1,550
5,580,000
△169,200
113,625,000
21
1,380
1,415
5,094,000
1,400
1,450
5,220,000
△126,000
113,499,000
22
1,253
1,316
4,737,600
1,300
1,350
4,860,000
△122,400
113,376,600
23
1,193
1,223
4,402,800
1,200
1,250
4,500,000
△97,200
113,279,400
24
1,137
1,165
4,194,000
1,150
1,175
4,230,000
△36,000
113,243,400
47.7.7
1
1,076
1,106
3,981,600
1,100
1,125
4,050,000
△68,400
113,175,000
合計
230,358,600
198,183,600
32,175,000
113,175,000
7 表 治水関係事業費推移表
(単位:百万円)
年度
全国
九州
川内川
球磨川
事業費
伸率
事業費
伸率
事業費
伸率
事業費
伸率
昭和35年
29,178
100
3,434
100
263
100
470
100
昭和36年
32,525
111
4,078
119
891
339
100
21
昭和37年
36,113
124
5,927
173
1,947
740
113
24
昭和38年
44,641
153
6,604
192
1,845
702
154
33
昭和39年
51,907
178
8,816
257
2,263
860
233
50
昭和40年
55,170
189
9,082
264
551
210
408
87
昭和41年
64,120
220
10,920
318
457
174
680
145
昭和42年
72,371
248
13,675
398
484
184
842
179
昭和43年
76,232
261
16,399
478
554
211
950
202
昭和44年
84,473
290
14,501
422
603
229
1,019
217
昭和45年
96,936
322
16,164
470
828
314
1,417
301
昭和46年
126,489
434
19,883
579
1,524
579
1,610
343
昭和47年
171,414
587
26,586
774
3,074
1,169
2,177
463
注)1.この表は、建設省河川局治水課統計資料より抜粋した。
2.事業費は、各年度ともその最終決算額である。
3.伸率は、35年度を100とした場合の伸率である。
作成年月日 昭和58年5月20日
作成者 建設省九州地方建設局河川部水政課
建設事務官 藤崎雄一郎
平均雨量
29~40(12ケ年)
35,620÷12≒2,970
29,880÷12≒2,490
33,710÷12≒2,810
41~47(7ケ年)
20,840÷7≒2,980
17,640÷7≒2,520
19,760÷7≒2,820
44~47(4ケ年)
13,470÷4≒3,370
11,340÷4≒2,840
12,750÷4≒3,190
41~50(10ケ年)
28,280÷10≒2,830
24,420÷10≒2,440
26,980÷10≒2,700
41~55(15ケ年)
44,050÷15≒2,940
37,760÷15≒2,520
41,940÷15≒2,800
29~55(27ケ年)
79,670÷27≒2,950
67,640÷27≒2,510
75,650÷27≒2,800